出産し我が子が愛おしいと思うとともに、虐待した親に対し…

ららさんのご相談

閲覧いただきありがとうございます。
私は39歳の女性です。結婚して4年、第一子、生後半年の赤ちゃんがいます。
両親は健在で、実家とは車で一時間程の距離に住んでいます。妹と弟がおり長女です。

小学校までは元気で活発な子どもで、運動神経がよく、勉強もそこそこよくでき、 中学校、高校では生徒会長でした。

大学を卒業し、現在は大手商社で秘書をしています。

私は高校二年生の時から軽めの摂食障害を患っています。痩せていないと嫌だと強く思い、常に少食、食べすぎたと思った時には吐き戻すようになりました。

ほぼ無月経だったため、妊娠しないと思っていましたが、妊娠し出産ました。

赤ちゃんを育てていると大変ですが、それが霞むほどの可愛さ愛おしさに涙が出るほどです。
きっとどの子も赤ちゃんの頃は可愛かっただろうと、私も可愛かっただろうと思うのです。

そして、その可愛かっただろう赤ちゃん(ここでは私のこと)が少し大きくなってから、なぜあんなに叩かれ蹴飛ばされ耳が途中までちぎれるほど引っ張られたり、物を投げつけられたり、人前でびんたされたり、怒鳴られたりしたのだろうと 、不思議さと、その時の恐怖と体の痛みと、叩かれる怖さからその場で逃げ惑っていた恥ずかしさを思い出し、その時の私が可哀想に思えて、泣けてくるのです。
なぜだったか、そんなに悪いことをしたのか、いまはもう叱られた内容も思い出せないです。

赤ちゃんが、子どもが、こんなに可愛く、私は手を上げることは絶対にないと思います。
こう思うとき、私はそう思ってもらえなかったのかなと悲しく思います。

きょうだいのなかで私だけが叩かれて育ちました。両親は正しく、正しいことを教えるためなら、許される暴力もあると思っていました。
ですが、いまは、許される暴力はないと思っています。

子どもだった私の、小さい体がふっとばされるくらい蹴り飛ばされたことや耳が熱いと思ったらちぎれかけていた、その時のことを、30年たった今でも昨日のことのようにはっきりと覚えています。

悲しんでも怒っても、現在も未来も良くならない、この先の為に、前向きに物事を捉えようとか、親を許そうだとか、なんとか建設的な感情を持とうと努力しました。

そして、いま、親への、特に父への怒りやまだある恐怖心、嫌悪感と、許そうという気持ち、そもそも、許すという捉え方でよいのかという疑問などがごちゃごちゃになり、ぶれ続ける心に精神的に疲れてしまっています。

いまでも、何らかの親族集まり(誕生日やクリスマス、お正月などなど)で父とはよく会います。親族の集まり以外にも、私と夫と子どもと一緒にたまに実家に遊びに行きます。子どもにとっては両親は祖父母にあたり、親族としての和やかなつきあいを持ちたいと思うのと、単純に孫の顔を見てほしいという自然にわく感情もあるからです。
でも、会うとその前後には、さらに心が複雑になるので、もう会いたくないと思ったりもします。

夫との結婚には、色々あり反対されたものの、結果として、正解だったと思っています。
高校、大学を決める時、就職先を決める時にも、自分の希望を選択せず、両親のすすめる道を選びましたが、結婚する相手だけは、私の気持ちを貫きました。
このことは、自分で考えた道を選択することは自分にとって良いことだということを知ることになりました。言葉でなく実体験として。

だから私は、自分で考えたことを自分でやりたいと思うのですが、現在は暴力を振るわれることはありませんが、いまだに、父に、私はこうしたほうが良い、だとか、それは間違っているだとか、有無をいわさない威圧感をもっていわれます。

私以外の、叩かれることなく育ったきょうだいには、もう親も歳だし、お互い大人なのだから、言いたいことを言わせておいてあげて、表面上はハイハイといっておけばよいでしょうなどといわれますが、父と私との間柄はいまだにそんな普通にみられる風景のようなものではないと感じています。

父の言葉と態度は、私の心に重石(おもし)のように乗ってきて、鉛の鎖で繋がれたように、私を縛るのです。

何が正解だか分からないような問いかけをしてきて、答えを求め、何かを察せよと求め、冷たい言葉、難しい言葉、気まぐれに愛情溢れる言葉やきつい冗談、を私に向けて投げかけてくるのです。

話は変わりますが、結婚を反対する話で、なんども両親と話をする際に、父と二人で話すときもありました。その時に父に私は「愛しいよ」と言われました。悲しそうな目で、本当に結婚に反対だと伝えるなかで言われました。親が子を想う、子のためを考えての渾身の思いだと思い、これを押し切ってまでして結婚相手を選んで良いのかと一瞬迷いました。それと同時に嫌悪感も覚えました。あんなに怖い(暴力を振るわれて)父にそんなことを言われても、気持ちよく受け入れられませんでした。

以上が、状況説明、私のまとまりのつかない、様々な思いになります。

こんな私をご覧になって、私を嫌いますか?

父と会うと、その前後数日の間は特に、それ以降と、様々な感情をコントロールするのが大変で情緒不安定になります。そうならないためにはどうしたら良いでしょう。何か折り合いをつけるべきでしょうか。

私は、人の役に立てないなら自分には価値がないと思っています。
私以外の人間はすべて素晴らしいと思っています。なぜなら、私でないからです。私ではない=(イコール)必ず私より素晴らしいという歪んでいる認識を修正できません。頭ではおかしいと思っていますが、人を見ると、私じゃない、いいなと思ってしまうのです。自分に自信が持てませんが、何か「適度な自信」といったものを持てないものでしょうか。

ご感想などいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。


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カテゴリー: 実父母
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出産し我が子が愛おしいと思うとともに、虐待した親に対し… への20件のコメント

  1. うめ より:

    私自身は片親家庭で育てられ、母は気性の激しい人ですので
    叩かれて蹴られて育ちました。
    兄達は良い子だったため?私が1番酷かったです。
    結婚はもちろん反対され、それでも自分の意思を通しましたが
    今だにぐちぐちと夫の事を言われるので
    ずっと頑張ってましたけど、今はもうもう会いに行ってません。

    私が思うに、母はやはり殴られて育ったようなので
    同じように私達を育てたのだと認識しています。
    そしていろいろな母自身の不幸が私達を育てる上で行き詰まり、
    余裕のない環境の中、どんどん意固地になって行った結果
    殴る蹴る、もしくは爆発するのが日常的になったのだと思っています。
    私の場合ラッキーだったのは長兄がある程度中立でいてくれていた事と、
    私自身が自立して少しでも早く母から影響を受けないで良い
    場所に移動したかったと思えた事でしょうか。

    私には子供がいませんが、ずっと子供が欲しいと治療してきました。
    結局子供は出来ませんでしたが、その子供が出来なかった事さえ
    私がいかにダメかと母に責められた時は本当にもう
    実の親でも情けないのと、ああこの人はおかしい人なんだと
    はっきり認識できた瞬間だった気がします。

    なんか全然纏まらなくてごめんなさい。
    でもね、ららさん。
    今の世の中、愛も虐待も溢れてる気がしますけど
    その中で自分の感情や過去の不安だけに振り回されずに
    自分の子供を、夫を、そして自分自身を愛する事を
    自ら選択しても良いんだと思いますよ。
    きっとあなたのお父様の愛おしいという言葉は嘘じゃないでしょう。
    でも愛おしい子共に容赦なく暴力をふるえる親は
    私には少し違和感を感じます。
    お父様の中で、親子の力関係の逆転が認識されたのかしらね?
    でもまあ言いたいのは、あなたはあなたの大事なお子さんを
    愛して生きて行けば良いと思います。
    親のやってきた事全然正しくないです。
    もうぜーんぜん❗️
    そんなの理解示す必要ないですもん。
    心がざわざわするくらいなら距離置いても良いんですよ。
    自分の親のはずなのに、自分が全く見習いたくないような
    子育てをした親、理解出来ない親。
    血は繋がってるけど、絶対同じにはならない。
    そう思ってて良いんだと思います。
    そして子供を大事だと思えるあなた自身、もう少しあなたに
    愛されて認めてもらっても良いと思います。
    そんな環境で育ったのにお子さんを愛せるあなたは
    その価値があると思いますよ。

    ちなみに私はアラフィフなんですけど、今だに母に電話するの嫌です。
    結構な確率でぶち切れられ、怒鳴られ、電話叩き切られるので
    電話しようと思うと動悸が、、、(笑)。
    最後に電話で話したのは2年前ですが、その電話でうちの夫をなじり
    叩き切られたのでもうこちらからはかけません。
    長兄が側にいるので、長兄に迷惑がかかって申し訳ないのですが
    私は無理でした。
    もちろん会ってもいません。
    葬式は行きますよ。
    病気で入院してヘルプコール来たら行きます。
    でも夫を馬鹿にするような発言は絶対許せません。
    このままこの関係が終わるのも仕方ないと思ってます。
    私は母の存在を感じて精神不安定になるより
    無責任である事を選択したと思っています。
    まだお若いららさんにこんなことはお勧めできないけれど
    あなたと旦那さん、お子さんが1番幸せでいれる道を選択してくださいね。
    あなた達家族の幸せがあなたにとって1番です。
    そしてある意味あなたが犠牲になる事で平穏無事に行きてきた
    ごきょうだいの事はあまり考えなくても良いと私は思っています。

    • らら より:

      うめさん、メッセージありがとうございます。ららです。
      話しかけられている声が聞こえてくるような気がしました。

      今の世の中、愛も虐待も溢れている、本当にそう思います。
      私は、こちら(お嫁さんな井戸端会議)に投稿させていただくなかで、父からの暴力はやはり虐待だったのだと分かりました。認めたくないという気持ちがあるなどという訳でもないのに、なぜか自分自身に親から振るわれた暴力に関して「虐待」という言葉が思い浮かべられませんでした。

      いまあれは虐待だったのだと思えるようになり、私の中で、この問題(私のいまの苦しいという気持ち)を解決するための、私の立ち位置が変わりました。あれは虐待だったし、私はあんな子育ては絶対にしたくないししない、と思います。なぜ私はあのようにされたか、などともう考えないようにしようと思います。あれは虐待だった、あってはならないことだったと捉えてみると、それで満足できる気がしてきました。

      血は繋がっているけれど、絶対同じようにはならない、そううめさんがおっしゃるのと同じように私も思います。そのように思うこと(血は繋がっているけれど、、)は、決して喜べることではないように感じます。でも、自分の感情や過去の不安によって、私のいまの家族(夫と子ども)と過ごす日々をおろそかにするのは愚かですね。
      私もうめさんと同じように、いまの家族を大切にするために、ひいては自分自身を大切にするために、父と距離を置こうと思います。

      投稿には載せていませんでしたが、ちょうど弟に、将来は親のこと(病気や介護など何かあったときのこと)もあるから、皆で力をあわせたいから近くにいておいてほしいなどといわれて、言われてしまった以上、もう動けないとくよくよしていました。私が冗談半分の態で、本当は様子伺いで、この、現在いる地方から出ていきたいと話したときのことなのですが。
      弟には、よく逃げ惑っている私の姿を茶化され、食卓で家族にも笑われたものです。悲しい思い出ですが、いまこの瞬間、そんな思い出が、他の苦しいとか思っている様々なことが私にとって何になるのか、何にもならないではないかと思えてきました。

      いまの目の前にいる子どもと夫を一番に考え、そのためになることを優先して行動しようと思います。

      強く楽しく生きようと思いました。

      ありがとうございました。

  2. ふー より:

    ららさんの苦しい胸の内の叫びに心が揺さぶられ、何のアドバイスも出来そうにない私ですが書き込みしてしまいました。
    まずはららさん、あなたを嫌う理由なんて誰にも何もありませんよ。ららさんは聡明で他者を思いやる心をお持ちで、お子さんを大きな愛で包む素晴らしい女性です。ららさんはららさんの世界の主人公であり、他の誰もららさんの代わりにはなり得ない大切な存在です。

    ららさんは親御さん(特にお父さん)から適切な愛情を受けずに育てられ、自尊感情が育たず現在も苦しみの中でのたうち回っているのですね。このような生育歴を持ち、大人になっても苦しみ続ける人の何と多いことか…怒りと悲しみを禁じえません。
    カウンセリング等を利用して、少しでもご自分のことを愛せるようになって欲しいと強く願います。簡単なことではないと思いますが、勇気を出して一歩を踏み出して欲しいと思います。
    あとご主人には胸の内を話せていますか?一番近しい人、今一緒に暮らしている御家族であるご主人にららさんのお気持ちを解ってもらえているといいのですが、恐らくほとんど話せていないのではないですか?

    ららさんはこれほど苦しんでいる今現在も実家の御両親や親戚とうまくやっていこうとご自分を押し殺してお付き合いされている。本当はそんなお父さんとは会わなくていいのですよ。そして、お父さんがこの世にいる間に、ららさんの受けた苦しみをぶつけてやればいいんです。「そんなことは出来ない」と今のららさんはおっしゃると思います。でも本当は捨てていいんですよ、ららさんにとって毒にしかならないような人間関係は。たとえそれが親だとしても。

    ららさんがららさん御自身を「大好きだよ」と抱きしめ、愛し、そして今の御家族と心穏やかに日々が送れるようになることを心から応援します。

    • らら より:

      ふーさん、メッセージありがとうございます。ららです。

      これまで、自分自身を好きになること、愛することは本当に難しいことだと思ってまいりました。

      今回ふーさんからメッセージをいただき、私は『自分を愛せない人は相手のことも深く愛することができない』と感じさせられたある体験を思い出しました。その体験をもとに私は自分を好きになろうと、認めようとチャレンジしていたのですが、いつまにかそのことを忘れていました。難しいなどといって甘えずに、もう一度やり直そうと、自分自身に取り組んでみようと思いました。いまならできそうです。

      私の様々な思いについて、夫に話せているかということについてですが、夫にはだいたい話せています。身近にいて、私の様子から何かあると思っていてくれたようで、結婚後しばらくしてからですが、機会あるごとに説明するようになりました。多少理解しきれない面もあるようですが、寄り添おうとしてくれています。

      夫について考えていましたら、私は、この私の問題によって、これまでずっと夫のことを苦しめてきたのではないかと思いました。自分が苦しいことばかり伝えるのみで、夫がそれをどのように受け止め感じていたのか、そのことを考えることがなかったと気がつきました。

      父に私の気持ちをぶつけてみるということですが、それは、ふーさんのおっしゃる通り、いまの私にはとても難しいことなのですが、父とは距離を置こうと考えています。

      夫や子ども、いまの私、私を含めた私の家族に意識を向けて、そして、私にこのように励ましのお言葉を贈ってくださるかたに感謝して、私は幸せなのだと胸を張って生きていきたいと思います。

      カウンセリングについても、どのようなところがあるのかというところから探してみようと思います。アドバイスありがとうございました。

      お礼が遅くなり失礼致しました。
      以上になります。

      ありがとうございました。

  3. まこ より:

    ららさん、はじめまして。
    3人息子を持つ、アラフィフ主婦です。
    ららさんのご相談を読んで、胸の奥がギシギシ痛み涙が止まりません。あなたの父親に正座させてももの上に重石を置いて読ませてやりたいくらいです。

    頭でいくら思っても、力のない私には、昔の幼いあなたも、今のあなたも救えない。その事が悲しくて仕方ありません。本当にごめんなさい。

    でも、これだけは言わせてください。
    あなたの事は、嫌いにはなりません。
    地獄の苦しみの中から、たった一筋の光を信じて自らの決断(結婚)を押しきった、尊敬に値する方だからです。

    だからこそ、あえて厳しくお願いします。
    あなたは、いとおしくてたまらないお子さんのたった1人の母親になられました。
    あなたが、自らが人より劣ってると思う間は、大切なお子さんが、気の毒なお子さんになってしまいます。自分に価値がないと思っている母親に育てられるお子さん…それでいいのですか?

    素人の考えですが、父親と会う事を止めてみて下さい。もちろん旦那さんや他の専門家の助力も必要かと思います。子供の頃に暴力と共に刷り込まれた価値観を崩すのはとても難しい事です。原因を身近に置いたまま意識を変えるのは無理だと考えます。

    ららさん、もう(親にとって都合の)いい子でいる必要はありません。育ててもらった恩は、あなたが今生きている事で返しているのです。それ以上を望むのは、毒親のみです。

    長々書いても、もうとっくに充分考えられた事でしょう。始めに書いた様に、私にはららさんを救えないのです。
    「私は役に立ちません。」
    役にたたない私の事をららさんは価値がないと思われましたか…?

    • らら より:

      まこさん、メッセージありがとうございます。

      まこさんは役に立たないおかたでも、価値がないおかたでもありません。そして、私を救ってくださいました。

      私は自分に対してだけだと思い込みながら、実は自分以外の人に対しても、役に立たなければ価値がないと、そのような目で人を見ていたのかもしれません。

      これからは、自分に対して、人の役に立てないから価値がない、などということは言わない、考えないようにします。改めてそのような考え方はおかしいと思いました。恥ずかしいです。まこさんが役に立つか、価値があるかと考えなくてはならなくなってみて、そのおかしさが、よく分かりました。

      自分に自信を持つことと、人の役に立つこと、人に価値があるかどうかということ、この3つはバラバラに考えれば良いだろうと思いました。特に、人の価値については「価値」という言葉を「人」にあてはめることについて、もっと慎重になるか、もしくは使わない方がいいと思いました。

      子どもも生まれ母親になったのに、自分自身のことで頭がいっぱいになっていました。子どもの母親なのだということを、強く、感じれば感じるほど、力がわいてきました。もうだめだと、生きていたくない、倒れそうだと思ったことがありました。気力も、体力も、限界かと思っていたのに、限界はまだずっと先に、気配も感じないほど遠くにあることが分かりました。私のいう限界は全然く限界ではありませんでした。
      日々成長してゆく子どもが進む先、向こうには、未来があるのだと分かりました。それを力の限り追いかけていきます。

      嫌いでないとおっしゃってくださり、私の価値観の行き詰まっていたところを開放してくださり、そして、私の母親としての自覚のなさに気がつかせてくださり、ありがとうございました。

      いまの家族(夫、子ども)を大切にしていきます。父とは会わないようにしようと考え、物理的な距離を置く計画を立て始めています。

      この広い世界のなかで、私にメッセージをいただけたことを奇跡のように感じます。この先の私の足取りは以前より軽くなりました。そして前より確かなものになったと「自信」を持てました。まこさんのおかげです。ありがとうございました。

      お礼が遅くなり失礼致しました。
      本当にありがとうございました。

  4. マヨネーズ より:

    すごい力のある文章だと思いました。
    聡明な方なのでしょうね。
    嫌うなんてとんでもない。
    できることなら、幼いららさんを暴力から
    救ってあげたいです。

    お父さんの暴力や支配に負けず、
    自分の意志を貫いて、旦那さんと結婚されたこと
    本当によかったと思います。
    ご出産、おめでとうございます。

    ららさんの優しさから、
    孫の顔を見せてあげたいとお父さんと会う機会を
    作られているようですが、
    個人的にはもうよろしいのではないかと思います。
    距離を置いてはいかがですか?
    お父さんと会われるたびにつらい記憶が蘇るし
    会う前後で苦しむのですから…
    もうご自身を解放してあげては?

    忘れることはできないし、許す必要もない。
    事実として幼いららさんに暴力をふるった人ですよね。
    怖い、嫌だ、会いたくない。
    これが普通の感情ではないでしょうか。

    人生は短いです。
    お子さんを大事にされているように
    ご自身のことも大事にしてください。

    • らら より:

      マヨネーズさん、メッセージありがとうございます。お礼が遅くなり失礼致しました。

      こちらに相談させていただき、とても気持ちが楽になり、前に進む活力がわいてきました。

      父とは距離をおこうと思っています。無理をして気持ちが辛くなるのなら、素直に会うことをやめれば良いのだと思うようになりました。

      人生を大切にします。おっしゃられる通り、短いものだと思います。どうせ生きていくなら、楽しいことを思い、一日いちにち過ごせることに感謝して進んでいきます。

      励ましのお言葉、本当にありがとうございました。

  5. タグ より:

    ららさんの、父親に対する気持ちを、私は、痛いほど分かります。
    言葉の暴力がひどい実父は、今でも「帰れ」「黙れ」と威圧的です。
    頼みごとは、当然のように、言ってきて、感謝される事は、ありません。
    同じ空間にいると、息苦しいし、一刻も早く自宅に帰りたいと、思います。
    兄には、言いません。私だけです。
    子供の時から100パーセントリラックスは、出来ませんでした。心の隅で、父を恐れて、笑顔になれないでいました。自分が悪いのかなと自信をなくした日もありました。
    そんな曇った日々を、長年過ごした50代の私が出した答えが
    親だからと無理に付き合わない
    怒鳴り出したら、その場から去る
    母とは、普通に話していましたが、父を自分の意識から、徐々に消していきました。そうしていく内に、自分の気持ちが、だんだん楽になりました。
    ららさんも、自分の気持ちを大切に、父親の呪縛から抜け出して下さいね。
    親だから、正しいとは限りません。頑張って

  6. くー より:

    嫌いになどなりません。
    私も、同じ体験ではありませんが、親に色々とされました。
    某団体で育った私は、親の事をお父さんお母さんと呼ぶ事を禁止され「敬語」と「はい」という返事以外は出来ない生活になりました。「やだ」と言えば、容赦なく皆の前でげんこつが飛んできて吹っ飛ばされます。私には模範生が求められました。
    お腹が空いて、そこに置いてあったお饅頭を食べて、ビンタ3発食らいました。
    高校に行きたいと言えば「あなたには必要ない」と言われて行かせてもらえず、やむなく自分で働いてそのお金で通信高校を卒業しました。
    色々されたことは本当に色あせずに今でも光景が目に浮かびます。
    何か意見を言う時は、ガードする準備をしてから言ったものです。

    二十歳になり家を出て、会おうと思わなければ会えない距離に行きました。
    今は私にも子供がいます。
    私の両親には「あの時は一生懸命だった。」と言われますが、私はいくら子育てに一生懸命になってもそういう事をする気にはなれません。
    私が一番きつかった年齢に子供がなり、私の心も凄く揺れました。
    子供を見て、こんな幼い時期から私頑張ってたんだな。この年齢って私がされたような事が必要な年齢だとは思わない。親が理解できない。
    そう思うと、その時期は精神的に不安定にもなりました。
    悩んで悩んで、旦那とも話して話して、導き出した結論は「私がやって欲しい事を子供にやってあげる事」という事でした。
    学校で頑張って来れば「頑張ったね」って言ってあげて
    お誕生日には「お誕生日おめでとう」
    子供に笑いかけてあげて、他の子とは比べずに。
    叱る時はしっかり叱るけど手はあげない。
    抱っこや膝枕を求めて来るときはしっかり応えて
    どこの家庭でも当たり前のことですが、私はこれがやって欲しかった。
    その気持ちに素直になって、子供と向き合う事で自分を癒しています。
    思った以上に満たされます。

    そして、旦那も私に肯定的な言葉をかけてくれます。
    くーがやっていることは間違っていない。
    ありがとう。いつも頑張っているね。
    その時々の一言が自分の肯定感に繋がっていると思います。

    お父さんとはちょっと距離を取ったらどうでしょうか。
    私も、自分の中で不安定な時期は連絡も取らないようにしてました。
    気持ちさえ固まれば、今ではどんとこいです。

  7. まるぶん より:

    お父さんが間違っています。
    あなたが感じることすべてが正しいです。
    殴られたり傷つけられたりしていたあなたを私が抱きしめてあげたいです。今もなお心が苦しめられているあなたを抱きしめてあげたいです。
    大切なことだからもう一度言います。あなたは正しいです。間違っているのはお父さんです。

    私にも娘がいてとても大切です。愛おしいです。そんな娘を耳がちぎれそうなくらい傷つけるなんて、想像するだけでも叫び出したいくらい怖いです。
    残念ながら、人を愛する能力がない人もいます。お父さんはあなたを傷つけておきながら愛おしいと言います。あなたは娘だから、お父さんの態度と言葉の違いに戸惑いますよね。でも他人の私から見たらお父さんは口だけです。

    そんなお父さんから育ったのにあなたは、お子さんを愛する能力を持った素晴らしい人です。お父さんのこと許したりしなくていいと思います。親は先に死にます。
    あなたにはお父さんとは関係なく、自分が選んで作った家族を大切にして欲しいです。

  8. はっちん より:

    私もなんのお力にもなれないとわかっていても、声をかけずにいられませんでした。
    出来る事なら幼いららさんをギュッと抱きしめてあげたい。あなたは何も悪くないと頭を撫でてあげたい。

    ららさんの文章を読むと、聡明さがわかります。
    酷い目に合わされて育ち、深く心に傷を負っているのにグレもせず、社会人となり、本当に素晴らしいと思います。

    私も他の方と同じく、まずご両親と距離を置くべきだと思います。
    できればカウンセリングに行き、ご両親にずっと苦しく辛かった事を吐き出してみてほしいです。面と向かってが難しければ手紙でも。
    悲しく辛い気持ちに蓋をしたままでは、心のざわつきが治まらないでしょう。

    もうららさんはひとりじゃありません。
    愛するご主人、お子さんがいます。
    お父さんに殴られて怯えるしか出来なかった子供でもありません。

    高いハードルだと思いますが、ららさんの幸せのために、どうしても乗り越えてほしいのです。

    そして、私はお母さんも、ららさんが父親から酷い扱いを受けているのに救いの手を差し伸べてくれなかったというのは、ほぼ同罪だと思うんです。
    私の兄は、そういう理由で母も許せず、疎遠になってしまいました。

    ららさんの心の底の苦しみの塊をご両親にぶつけ、そして気の済むまで会わなくていいんです。子供からおじいちゃん・おばあちゃんを取り上げたとか思わないでください。
    一生会わずに終わるかもしれませんが、それも仕方ないと思います。

    そして、長い子育ての間に、ららさんもお子さんと衝突する事もあるでしょう。その時に自分を必要以上に責めないでくださいね。
    普通のしつけや衝突と心に傷が残るほどの虐待は全く別のものですから。

    ららさんが心穏やかに過ごせますように。

  9. セプテンバー より:

    ららさん、はじめまして。

    みなさんが素晴らしいコメントをされているので、私は一言だけ。

    どなたが聞いてもこの話を聞いてららさんを責めたり、嫌いになる人はいません。

    だから、一番肝心なららさんご自身が「お父さんを許せないご自分」を許してあげて。赤ちゃん抱きしめながら、ご自分も抱きしめてあげてください〜♡

  10. 鯖缶 より:

    こんにちは、ららさん。
    暴力を振るう父親はもちろん、その父親の暴力を知ってて止めなかった大人達には二度と会わなくても良いんじゃないかなと私は思います。
    兄弟とのかかわりは難しいですが、幼いころならいざ知らず、だいぶん大人になったのに暴力を振るわれた人間に対する気遣いがない時点で、電話やメールで連絡するぐらいで十分ではないでしょうか。
    ずいぶん冷たい態度だなと思われるかもしれません。しかし、通りすがりの子供に振るったら逮捕され実刑をくらう行いが、なぜ自分の子供なら―躾の名のもとに―「OK」や「グレーゾーン」になるのでしょうか。私には理解できません。
    まっ、そんな心が暗くなることより、ららさんのお子さんと一緒に、いっぱい楽しいことをして下さい。
    もうちょっと大きくなってきたら、ららさんもお子さんと同じぐらいの年齢になって、野山を駆け上って泥だらけになって、公園ではしゃいでブランコブンブンさせて、自転車を乗り回して競争したり暴走したり遊んで下さい。転げ回るららさんとお子さんの面倒は、旦那さんに見てもらいましょう!イエイ!

  11. けいこ より:

    ららさん。自己嫌悪にならなくていいです。
    幼い頃というか、自分だけ親からひどい扱いを受けたことは悔しさしかないとおもいます。

    その辛さを乗り越えて、結婚されてお子さまを作ることを決めた自分を褒めてください。

    私も虐待されました。
    祖母は「しつけ」というけど、八つ当たりの機会が多かったです。育児経験はありますし、子供が嫌いじゃないですが(面倒見は良すぎ)、孫には親がいるのに何でババァが?と。
    私の父は妹がいますが、祖母は娘大好きな人です。私の父は虐待児ではなかったそうですが、息子の子供というのが一因だったかも。

    妹が生まれて、母が仕事をやめましたが、今度は母から暴言を受ける日々が始まりました。
    どっちもどっちです。

    結婚する気もなく、出産ははなから諦めてます。
    祖母は「結婚はタイミング」「子供は授かり物(できなくてもいいじゃないか)」と妙にものわかりのいいことをいいましたが、妹を溺愛していた母には「妹より先に結婚なんて。なにさま?」こんな感じです。

    過保護に育った妹は「親は忘れてる」というけど、傷は浅くないし、フラッシュバックもあります。老いてから、攻撃的になるかもしれないですからね。

    謎に思ったのは。
    ららさんは学校生活で優等生の道を歩んでいたのに。どうして親御さんがひどいことをするの?
    親がやきもちを焼いたほど、優秀だったのですね。
    逆境に立ち向かったららさん、あなたは立派です。

  12. ミニー より:

    私は3人兄弟の長女です。
    2つ下の弟、8歳下の妹がいます。

    私も母親にヒステリックに殴られ、はたかれ育ちました。
    女の子なので家の手伝いは当たり前で、妹のお世話をさせられてました。

    弟妹と比べて愛されないと思い、自己否定感、劣等感が低いです。

    去年から、心の事を学び、幼少の頃にした切ない思い、
    悲しい思いの感情の解放をして行きました。

    そして、母親に色々な出来事を話し、自分の気持ちを伝えました。
    自分だけ愛されてないと思って、悲しかったことなど。沢山。
    お互い泣きながら話しました。

    だからと言って、母親が大好きという訳ではないですが、
    心が軽くなり、暖かくなったのを覚えてます。

    ららさんも幼少の頃の辛く悲しい思いを解放する時期にきたのだと思います。
    向き合うのは辛いですが、心の傷は癒されたがってるようですね。

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    私も時間はかかりましたが心が軽くなりました。
    自己否定感がだいぶ取れました。

    昭和時代は、殴るのがしつけと思っている親が沢山いましたね。

  13. 匿名希望 より:

    とても辛い経験をなさってますね。

    私は暴力を振るった人も酷いと思いますが。
    それを見て見ぬ振りをしたり、からかいのネタにする様な人は責任が自分に無いと思ってる分タチが悪いと思うんです。
    家族という小さな世界で兄弟のうち1人だけ暴力を受けている。あいつが殴られて親父の気がすむなら俺はセーフ、ラッキーなんて思ってるかもしれない。
    そんな感情が無意識でもあったなら、親の介護など、協力してやって行くことは無理だと思いませんか?

    子供が親の介護を必ずやらなきゃいけないなんてないと思います。
    自分の作った家族を大事にしましょう。
    ご実家とは距離を置いた方がいいと思います。
    私は親の面倒を見るつもりがない!とはっきり宣言してもいいんじゃないですか?
    何故、と責められても私は虐待されていたから!と言えばいいのです。知らなかった、気づかなかったとは言わせない!とはっきりいい渡せばいいのです。
    薄情だの言われてもダンナさんなどわかってもらえばそれでいいんです。
    実家より自分の家族が一番大事なんですから。
    負けないでくださいね!

  14. ゆうこ より:

    私は長女ですが、明らかに私一人放置で育てられました。
    寂しかったです。
    今19歳、18歳、7歳の子供がいます。
    そこで思ったのが、いくら自分の子でも合う子、合わない子がいます。だからと言っても公平に育てているとは思いますが…
    自分の受けた痛みは消えませんが、もうこればっかりはすぎてしまったことだし忘れるようにしています。
    なんなら、母親にあの時はあーだった、こーだった、冗談で話してます。あの頃は自分に余裕がなかったからーとか言い訳ひてくれます。もうそれでいいと思ってます。
    忘れようとしても忘れません。
    でももういいと思って生きるしかありません。

  15. 匿名 より:

    私も毒親持ちで、小さい頃から何をするにつけても親からは否定的なことしか言われなかったので、随分と長い間、自分の価値について問題を抱えていました。

    私が育った家庭内の設定は、母としか喋らない父は全てが完璧で神扱い、兄は神童、姉は優等生、母が家族の底辺、私は生きている価値がない程何をやってもダメ。「ダメ」な私は学校では成績優秀でしたが、希望する高校、大学とも親から進学を許されず、私は呪縛から逃れるべく高校卒業後に家を出ました。大学の入学後すぐに経済的援助も全て断り、自活し、その後実家とは疎遠になり、若いうちに結婚して離婚、今は再婚して子供がいます。

    家を出てから、最初の結婚式、新婚生活、離婚、再婚、妊娠、そして出産、育児。
    親と決別後も、自分の人生に「家庭」という概念が芽生える度に、親とは和解した方がいいのではないかと言う思いが押し寄せ、その度にフラッシュバックでうなされたり、話し合いを試みては失敗し、より自己嫌悪に陥ったりしてきました。

    でも今は、ららさんのいう通り、私も自分の愛しい子が育つのを見て、親が私にしたようなことは絶対にしない、と日々強く強く思います。
    愛情あふれる家庭に育った夫との、愛しい我が子の子育てを通じて、親の何が間違っていたのかをよりはっきりと、明確に俯瞰で見ることができるようになりました。

    私の母も過剰に「愛してる」と言う言葉を使います。
    アメリカ人が愛してると家族に言うのが好きなんだそうです。
    でも、彼女の愛は、彼女が愛したい時に彼女が愛したい部分を独りよがりに愛する、搾取の愛でした。
    逆に私が母を必要とした時には、母は私を蔑み、あざ笑い、罰を与えました。
    楽しい話を始めたはずが、どこに地雷があったのか機嫌が急に悪くなって怒り始め、止まらずエスカレートして、いつも怒鳴られ否定されて終わる惨めな気持ち。風邪や病気が悪化して咳が止まらなかったり戻したりした時に受ける罰。どうして良いかわからなくて教えて欲しい事がある時にバカかとネチネチ嘲笑されるあの気持ち。

    思えば彼女は常に家事も育児も全てが面倒臭いと考えている人で、自身の人生に不満がたくさんある人でした。父と兄と姉のことは自分より上と考えていたので必死に上部を繕っていましたが、下に見ている私に対しては全ての負の感情をダダ流しにしていたのだと思います。自分に都合の良いように現実を歪めて生きてきて、それを認める気すらない人です。

    何度か話し合おうと試しましたが、両親はもう変わりません。
    すでに起きてしまった過去を許す必要もありません。
    私は自分の人生には責任を持って生きる。ただそれだけ。
    もう私の幸せを奪う人はいないのです。
    失敗をしても自分で責任を持って建て直すのみ。

    私も、一人で生きて行ける程強くはないので、夫以外にも子供の成長を分かち合える血の繋がった家族がいたら幸せだろうかと思った時期もありました。
    実両親とはどうやっても無理でしたが、義両親、友達の親、恩師とは密に連絡を取って、子供の成長を一緒に喜んでもらっています。それだけで深く人生に感謝し、十分に心が満たされます。

    親には感謝してます。
    健康に産んでくれたこと、そして借金の無心などして来ないこと。
    それ以上でもそれ以下でもないです。
    葬式には行きます。絶縁は大変だから、疎遠です。

    たとえ肉親であっても、やって良いことと悪いことがあります。
    でも、それがわからない人もいるのです。
    そのせいで、今私が夫や子供と共に感じる幸せを、私の両親は感じることができないでしょう。でもそれは仕方のないことなのです。

    自己肯定感の低さについて、悩んでいた時期に、どこかのHPで「自分のことを八百屋の野菜だと思おう」と言うのを読みました。
    人と付き合う時に、自分はブロッコリー(野菜なら何でも良い)だと思う、そして、ブロッコリーが好きな人は手に取って買ってくれるだろう、でもトマトが好きな人はトマトを買っていく。それで良いんだと。私はブロッコリーだから、トマトになる必要はないんだと。わかりにくかったら申し訳ありませんが、その時の私にはとてもしっくり来たのを覚えています。

    まとまりのないコメントで申し訳ありませんが、大丈夫ですよ。
    ららさんも必ず、自分自身の家族と幸せになりますよ。
    困難があってもこれからはご主人やお子さんと助け合って、前を向いて幸せになってください。

  16. ねむ より:

    私は両親の激しい喧嘩に巻き込まれ、虐待を受け育ちました。
    感情的で理論からかけ離れた母と、理論を語るわりに、自己愛が強くやはり感情的な父で、喧嘩を止めては殴られ暴言を吐かれ、助けてくれる人は誰もいませんでした。
    ららさんのお父様は、私の両親を足して割ったような感じなのかもしれません。
    相手が関わってくるから見放せず、苦しい。相手を許せないのに自分からも関わってしまう、よくわかります。虐待を受けた人は愛されたい気持ちを捨てきれない場合が多いんです。
    歳をとって態度を変えた私の母が頻繁に連絡してくるようになったのですが、あまりに身勝手で稚拙な考え方に唖然となることがよくあります。そして私はしばらくの間落ち込んでしまいます。なんだか情けなく不幸な気分になってしまうんです。この状態は母や父と関わるたびに繰り返されています。
    でも、トラウマのない人間なんてそうそういません。これはただのトラウマだと割り切ることも大事です。
    今、ららさんは可愛いお子さんがいて幸せを感じていますよね?
    ふとこみ上げる過去の辛い思い出は幻のようなものです。
    過酷さに耐える強さを人間は持って生まれています。戦場でも子供がたくましく育つのは、人は「慣れる」生き物だからです。
    その慣れが、幻のように付きまとっているのだと思います。
    どうにかこうにかして、精神を壊さず生きてこられた名誉の傷だと思ってみませんか?
    そして自信についてですが、私は、出来ることが多いか少ないか、人の役に立つ人間かどうかなんて重要だと思いません。
    自分にできないことはたくさんあってできることは少ないですが、それはそれです。できないことをできるように努力したいと思っていないからです。
    自分には必要がないと、どこかで割り切っているからです。
    だけど、人と比べられる場面に遭遇すると、できないことで恥ずかしく、情けなく思ったりはしますが、自分の選択の結果だと思っています。
    どうしても恥ずかしくて許せないのなら努力をしているはずです。
    それに、できることが多い人間は自信があるというのは思い込みのようなものです。
    たとえば絵を描けて、歌も歌えて、仕事もできて、コミュニケーションも上手な人がいたとします。その人はなんの努力もしていないんでしょうか?
    努力には悩みが付きまといます。たくさん悩んでも乗り越えるタフさを持っているのだと思います。タフさは必ずしも自信ではないです。駄目な自分が許せない、自己否定を認められない心がないと乗り越えられないのだと思います。
    それは強いようで弱い気持ちに似ていませんか?
    極稀に、とてもポジティブに活動的に生きている方もおられますが、上記のような人でないとすれば、ただ痛みに鈍感な人間です。
    それを羨ましいと思うのは人それぞれですが、私は自分が痛みを知っているからこそ、人の痛みに敏感でありたいと願っています。
    ららさんはどう思われますか?

    「自信を持つ」というのは気がつかない間に自然と身についているものです。
    自信がもてれば上手くいくという魔法のような考えは捨てて、周りの方の評価に耳を傾けてみてはいかがでしょうか?
    たとえば優しいとか、聞き上手だとか、オシャレだとか、何かしら褒められることもあるのではないでしょうか?もしくは、悩みの相談をよく受けるとか、自分は気が合いそうにないと思っている人から話しかけられるなど・・・
    プラスの評価が必ずあるはずです。もしもその評価を受け入れないのであれば、それは自信のなさではなく、ただの傲慢です。周りからの賞賛やありがとうの気持ちに敏感になることから始めてみてはいかがでしょうか。
    そして、そんな場面を作るのはららさんご自身です。
    少しの勇気と行動力を持てば、きっとたくさんのありがとうを貰える方だと私は思います。悲しみを知っている人は優しさに飢えています。優しさに飢えている人は人に優しさを与えられる人です。
    偉そうに語りましたが、ららさんを叱りたいわけでも見下しているわけでもないことをどうかご理解ください。
    ららさんはおっしゃいました。
    「赤ちゃんが、子どもが、こんなに可愛く、私は手を上げることは絶対にないと思います。」
    それはららさんの自信ですよ。自分の価値観に対する自信です。親とは違うご自身の考え、その強い意志は自信です。過去の幻に囚われず、どうか今を大切に、健やかに生きてください。

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