とても信仰心が強い義母。私にも強要し…

ぽろこさんのご相談

40代、子供なしの専業主婦です。
夫の親族は、両親、弟一家、妹一家、それぞれ関西在住で、私達は遠方におり、今後もここを離れる予定はありません。
義両親は元気に自活していますが、近い将来は義妹一家の面倒になる事になっています。
関西にあるお墓は、義弟(息子がいます)が継承する事になるのかな、と。
まだ両親が健在な事もあり具体的な話し合いには至っていませんが。
いずれにせよ遠方で子供がいない私達はそこに入るつもりはありません(まだ公言はしていませんが。)

ご相談は、義母がとても信仰心が強く、私にもその信仰心を強要する事です。
ちなみに、婚家の宗教は、新興宗教やカルト的なものではなく、仏教の伝統的な宗派のひとつですが、排他的な宗派とは言われているようです(真偽はわかりませんが)

義母は良い事悪い事、万事を信仰心のせいにしたがります。
以前にも、義弟の体調が落ち込み(10代からの持病のせいで)、甥が発熱を繰り返したり、娘婿の仕事が低迷したり、心配事が多々でてくると、長男である私達夫婦の信仰心が足りないせいで、みんなにとばっちりがくるのだ、と言われました。
逆に、主人が努力して昇進すると「自分達が一生懸命信心しているから」と。
何事も信仰のせいにし、努力の有無に関係なく幸運不運を誰かのせいにできる事や、 自分達の幸せや利益という見返りを期待しての信仰心に違和感と反発を覚えます。

主人は親の真逆で全く信仰に関心がなく、何を言っても相手にしないので、私にだけ苦言や要求がきます。
遠方なため年に一度程度のお墓参りと法要への参列、これだけでは信心が足りない、と。

そこで、私達が住む市にある、婚家と同じ宗派のお寺で毎月行われているお勤め(小さな供養塔を立てて、住職さんに合わせてお経を唱える)に、できるだけ参加するよう言われました。 義家族は昔こちらに数年住んでいた事があり、そのお寺とは以来のお付き合いで、こちらに来る折には訪れているようです。
10年ほど前に一度だけ義母に同行した事があるのですが、義母は「嫁がこれからちょくちょく参ります」と挨拶していましたけれど、それきり行ってません。

義母にとって信仰は柱で、信じる宗派が唯一無二のものなようで、 宗派違いの私の実家の先祖の供養までを、そのお寺でお願いされた時には良い気がしませんでした。
実家は実家なりに、きちんと供養は行っているのに、その宗派以外での供養は、供養にならないと言われているような気がして。
この時のみならず、義母は余計なお節介、出しゃばりという事が多々あります。
よくいえばとても親切なんですが。

私がそれきり行く様子がないのでそのうち義母も諦めたのか、お寺の事はあまり口にしなくなっていたのですが、最近になりまた心配事が増えたため、先日あらためて行くように要求(=命令に近い)されました。
時間はあるし、さほど遠くもないので行く事自体は難しくありません。
でも、檀家でもない、お墓があるわけでもないそのお寺に、なぜ強要されて行かねばならないの?価値観を押し付けないで、と言いたいのです。

何事も信仰のせいにする言葉に反発して頑なになってしまってる?
威圧的で支配的な性格が普段から嫌だから、言いなりになりたくないだけ?
感情抜きに客観的に考えると、長男の嫁という立場なら、そこはガマンして言うことを聞くべきなのかな、とも思います。
みなさんならどうされますか?


『夫に聞いてみますね』の印籠を
ドンドンだしていきましょう!

ご主人が信仰に興味が無く、
お義母さまの声に耳を傾けないのなら好都合。
お寺に行かない・信仰しないのは〝夫の意向〟として貫きましょう。
それともっとご主人に、間に入ってもらってもいいんじゃないかな。
納得のいかない論理で強要される時間はツライですが
お義母さまのおっしゃることに〝それは違うだろ!〟と
お義母さまの言葉を脳内でループする時間を減らし
〝お義母さまはこういう人だ〟として全部聞き流しちゃいましょ。
ごり押しお姑さまに悩む奥様方、対処方教えてください!


カテゴリー: 舅姑


とても信仰心が強い義母。私にも強要し… への10件のコメント

  1. なっとう より:

    ひとつの意見としてお聞きください。
    多分、息子さんを盾にしようとしても、「それはあなたの役目よ」とか言われそうです。
    ご実家のご供養は、まぁ100歩譲ってあげましょう。信仰している人に、何を言っても無駄です。
    強気でいけるなら、悪いことがあったときは、「でもその程度で済んでいるのは、信仰のせいですね」と言ってみますか。
    信仰がなくても、悪いことがあれば、お嫁さんのせいにして、いいことがあれば自分たちのお陰というのは、嫁姑の間ではままあることです。
    ご主人が親と一緒になってあなたに言わない事に感謝しましょう。
    のらりくらりと無視ができないなら、そのお寺くらいはたまに行って見ましょうか。
     そして、義母さんにご報告しましょう。「お母様、お父様のご健康と、主人の仕事が上手くいくようにお願いしてまいりました。」といわれたら、喜んでくださるとおもいます。
     同居でもなく、近くで監視してるわけでもないので、(気持ちなくとも)事実があればよいでしょう。
     そうすると、少しは攻撃が和らぐかもしれません。
     
     

    • poroco より:

      早速のアドバイスをありがとうございます。
      そうですよね。
      信仰に関係なく、悪い事はなんでも嫁のせいにする姑は、この世にたくさんいるのでしょうね。
      主人の信仰心が薄いのは、そんなふうに育てた自分のせいだとは、ほんの少しも思っていないみたいですが(笑)
      ただ、信仰心が薄いといっても、私は年に1~2度(法要を含めて)しか参りませんが、主人は近年は3~4回お墓参りに行っているのです。
      信仰心からというよりは、かわいがってくれた祖父母への挨拶のつもりだと思いますが。
      それでも足りないんですかね?
      私も月に一度2時間程度、こちらのお寺で過ごす事は可能ですが、
      要するに嫌いな義母の言いなりになりたくないいうのが拒否したい大きな理由です。
      もし、もう少し義母に対して良い感情をもっていたらなら、たとえ意にそぐわない事でも、月に一度のささやかな親孝行のつもりで足を運ぶと思います。
      でも、義母のためというより自分の保身のために、心を伴わず形だけでも行く方が利口なんでしょうね。

  2. manamin より:

    まずは義母様と同居とか近所でなくて本当に良かったですね!!!
    それはご相談者様とご主人様の「非信心の賜物」ですよ♪
    これからもご主人と共に貫き通してくださいねっ

    そして義母様のしつこさは、もう如何ともし難い加齢による不安からくるただの執着です
    なのでこれは加齢にスルー、あ、違う「華麗にスルー&逆馬耳東風作戦」でどうでしょう

    逆・馬耳東風作戦はですね
    相手のいう言葉は馬の「バルルーン」「ブヒヒーン」なので
    何言ってるかわからないので「はいはい、わかったわかった」とその場だけとりつくろって、あとは完全放置ってやつです

    で、その後また「バルルーン」「ブヒヒーン」って言われたら
    ごめんごめん、何言ってるかわからないけど私忙しいからまたね

    ってね。

    こんな感じでご主人と共にスルーしていけばいいだけのことですよ
    「いい嫁」することないですって
    ご主人様と問題のない平穏な暮らしをしていくことが
    「いい嫁」のやることです

    老馬の要求(ブヒヒーン!!!!!!!)は「はいはい、遠くで馬がブヒヒーンって言うてる言うてる。人参(信心)が足りないってか。知るか。他の餌腹いっぱい食うてるくせに」って思うだけで、人間の言葉と思わなくていいです。

    こちらが実質相手なマイナス(不利益)を与えていないなら、こちらが精神的なマイナスを背負わせれる理由も必要もありません。

    なので、真剣に取り合わないのが一番ですよ
    良い嫁終了でどぞー。

    あとは老馬の電話に出ない、義実家に帰らないでも可。

    私はときどきそういう状況になったら「あれっ、何か電波の調子が悪いですね、聞こえませんけど、あれ、あれー」と言って電源切って、そのまま着信拒否って作戦にも出たりします。

    嫁子危うきに近寄らず。

    • poroco より:

      ユーモアあふれるアドバイスをありがとうございます。
      実は主人は3年前から関西に単身赴任中で、私も年に数カ月をあちらで過ごしています。
      完全な帯同としなかったのは、そうした時の義母の過干渉を恐れての事です。「俺だけなら相手にされないのがわかってるから、そう近寄っては来ないだろう。でも君が一緒なら君にかこつけて何かと干渉してくる。
      下手したら家に居座るかも。そうなったら君は嫌だろうし、俺も面倒くさい。
      だから単身赴任という事にして、君はこっそり好きな時に来ればいい」という主人の言葉に甘えました。
      ですが実際には「こっそり」というのは難しく、あちらにいる間は義母をいかにかわすかに苦心しています。
      義母は80近くてもすこぶる元気でフットワークが軽く、同年代のお友達はみんなどこかしら痛いか具合が悪いかで、遊び相手が足りず暇をもてあましているようで、構ってほしくて仕方ないのです。
      先日初めて電車で席を譲られたと言って、ひどくショックを受けていたようなパワフル婆さんです。
      昨年くらいから思い切って電話の3回に2回はスルーし、そっとしてほいて欲しいオーラを出すようにしたせいか、最近はいくらか遠慮してくれているようでしたが・・・。
      逆・馬耳東風作戦、いいですね(笑)。勇気をだして敢行したいです。
      価値観(信仰心)を強要されたり、理不尽な事を言われると言い返す事もできず、かといって納得もできず悶々としてしまうのですが、
      あまりまともに受け止めず、受け流して良いのだと思うと気が楽になりました。
      ありがとうございました。

  3. Mchan より:

    うちの義母は伝統的ではない宗教をやっています。
    つぼやら色々買っています。変な教祖様の写真にむかって拝んでいます。
    夫も以前はやるようにいわれて変な首飾り見たいのをつけていましたが
    深い信仰ではなく義母にいわれてつけていたらしく私が嫌がるので
    つけるのをやめてくれました。
    義母も、以前夫が事故にあったときに、守ってもらえたから
    このぐらいの事故ですんだんだ。とか言っていました。
    いやいや・・・だったら事故にあわないで済むようにしてくれりゃぁ
    いいのにと思いましたけどね。
    信仰している人はなんでもいいようにいいますよね。
    ファッジさん同様に夫が~という形で我が家は逃げ切っています。

  4. poroco より:

    Mchanさん
    大変ですね・・・。
    うちはまだ一般的な宗教なので、つぼを買ったり買わされたりとかはないので、良いですよね。
    でも、もし私がMchanさんだったら、はっきり「私は○○教の○○派です」と断れそうな気もしますが、執り付かれている人はには効かないのでしょうかね。
    うちは伝統宗派ですし、もし遠方じゃなかったり子供がいたりすればお墓を継ぐ立場だったりしたわけで、そう無碍にもできず・・・
    かといって、必要以上の信仰心を求められたり、義弟や義妹達の不運や明らかに自身に原因がある失敗でさえ私達のせいにこじつけられる理不尽さに腹が立るのです。
    ご主人が間に入ってくれるのな羨ましいです。
    でもきっと優しい方なので、お義母様の言う事を聞いて首飾りをしたりという事もあったのですね。深みにはまらなくて良かったですね。
    私も結婚して10年くらいはMchanさんやファッジさんのように「主人が~」と主人を盾にしていましたし、主人も時には間に入ってくれたりもしました。ですがこの何年も、義母は100パーセント何事も私にだけ言ってきます。連絡しかりお誘いしかり、苦言しかり。愛想なし主人からは相手にされないので。
    主人自体、うるさい義母と関わる事を面倒がっているので、私の気持ちは理解し「無視していいよ」とは言いますが、間に入ろうとはしてくれなくなりました。ずるいですよね~。
    マザコンでなくて良かったと思うしかないです。
    お互い、面倒くさい義母で大変ですが、頑張りましょう。

  5. ヨガ好き より:

    私なら行かないです。

    宗教の本来の力は、愛と感謝を人々に気づかせて、逆境がおとづれた時にも、優しく強くいられる心を手に入れることだと思います

    無理強いしたり、押し付けたり、脅したり(信仰心がないから悪いことが起こる等)、もっての他だと思うので、
    そういうことをされたり、言われたりするようなやり方では、行く気にはなれません。

    布教したいなら、その人が魅力的になり、素敵な考え方ができたら、周囲の人もあやかりたいとか教えてほしい、指導者と会いたいとか思えるような行動をお願いしたいものですよね。

    • poroco より:

      おっしゃる通りです。
      私も、宗教が人を幸せにするとしたら、それは信仰が心のよりどころとなる事で、強さや優しさ、心の平和を得る事ができるからだと思います。
      たとえ信心深くないからといって、もしそのせいで不幸になるだなんて、むしろご先祖様に対してすごく失礼な考えじゃないか、と。
      祟りじゃあるまいし、ご先祖様を悪霊呼ばわりしてるのと一緒じゃないかと思います。
      皆さんのご意見をうかがって、私の感覚がおかしくないのだという自信がもてました。
      来月のお勤めの日は、本当に以前から他の予定があって行けないので、その次となると約に二か月近く先になります。
      それまでよく考えてみたいと思いますが、今は行かない方向により気持ちが傾いてきました。
      ただ、義母を今後ものらりくらりかわして行けるのならそれが良いのか、
      ある程度自分の思いを正直に伝える方が良いのか、迷いがあります。
      それも合わせてもう少し考えてみたいと思います。
      ありがとうございました。

  6. あすわ より:

    このテーマに共感しましてこれを書き込んでます。
    トピを立ててくださってありがとうございます。なかなかこういうもやもやをみぢかでうちあけたりできませんので、うんうんうなづきながら
    皆さまの書き込みを拝見しています。
    ただ、
    こわいのが、拒否りすぎると宗教のせいとばかりに
    つじつま合わせに、そのエセ信仰者達が
    実際に手を下しやしないかという
    一点につきます。
    常日頃から、そういうやつらがなにかといえば祟りだとかいって他人をそしる低次元さに辟易してますが。怖いので迎合?同調しますが、これがなめられるんですよね・・・。むずかしい。

    自分の思うようにやって
    自分らしく生きることで
    人呼んで祟りがくるのなら
    一丁乗り越えてやりますか、ぐらいの気持ちで生きてんのに。
    神様ってそういうものでしょ=
    すみません、自分の言いたいことをだらだら書いただけ・・・。

  7. poroco より:

    共感いただけて嬉しいです。
    あすわさんも、普段からもやもやする事がおありなんですね・・・。
    はっきり白黒をつけられる問題じゃないので、お気持ちわかります。

    信仰は、人の幸せや平和のためのモラルのようなものだと思うのですが。
    自分の損得のために人に強要するべき事じゃないですよね。
    特に身内や親しい友人など、断りにくい相手に強いたり、ましてや脅したりなど、無神経か姑息かのどちらかでなければできない事だと思います。
    義母もそうなのですが、全てを信仰のせいにできるほどのめりこむ人は、
    元来良くも悪くもとても純粋で素直、一途な性格の人が多いように思うので、
    なおさら厄介なんですよね。
    正しいと信じた道を一直線なので。
    うちの義母の場合は、悪徳商法がからむようなおかしな宗教でなくて本当に良かったですが、
    そうでない場合、もっともっと苦労されて悩んでいる方が多くいらっしゃるのだろうと心が痛みます。
    縁を切ったり無視できる相手だと簡単なんですけどね。

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