一昨年に父を亡くし、今も乗り越えられず…

あんこさんのご相談

初めまして。いつもみなさまのご相談、アドバイス、参考にさせていただいております。

30歳婚約中で、まだ嫁ではないのですが、みなさまにご相談させてください。

一昨年の夏、父をガンで亡くしました。
その悲しみが時折一気に押し寄せてきて、涙が止まらなくなります。
普段はふと思い出してもしんみりするくらいなのですが、弱っている時などは特に酷く、なぜ父がいないのか、わからない、受け入れられない、と心の中でつぶやき、ベッドから起き上がれなくなります。

まだ周りに親を亡くした友人はおらず、話しても気を使わせるだけだろうと、誰にも言えずにいます。
婚約者とは遠距離で、たまに電話で聞いてもらいますが、本当に本当に鬱のようになってしまった時は、電話することもできません。

家族の中でも父の闘病に付き合ったのは私だけなので兄弟間でも気持ちにズレがあり、また父の死後愛人問題が発覚したことから、母は悲しみどころか恨みが強く、家族も純粋に父を亡くした悲しみを語るに語れなくなってしまっています。

親や近しい人を亡くされたみなさんは、どうやって乗り越えましたか?
時間が解決してくれるとわかっていても、つらくてやりきれません。
とあるアーティストが「誰かを亡くして心にあいた穴はふさがることはなく、その穴と共存していくしかない」ということを言っており、この悲しみを一生どころか、将来母や他の家族、近しい人が亡くなったら穴は増え、大きくなるのかと思うと、絶望さえ覚えます。

親戚は親を亡くした悲しみを乗り越えるのに10年かかったと言っていました。
本当に乗り越えられるのでしょうか…。

よろしければみなさんの乗り越え方、悲しみの対処法などを教えていただけますでしょうか。
どうぞよろしくお願いいたします。


悩めるあんこさんに
みなさまアドバイスお願いします!


カテゴリー: プレ嫁, 実父母


一昨年に父を亡くし、今も乗り越えられず… への36件のコメント

  1. まるん より:

    こんにちわ。大変でしたね。
    私も父を少し早く亡くしています。なくなる前の数ヶ月はほぼ病室に一緒にいましたが、亡くなる前から体が重く何も出来ない事が多くウツっぽかったです。
    亡くなってから出産もあり忙しく徐々に思い出すことも減りました。5年くらいはずっと突然独り言いったりしていました。「なんで?」とずっと言っていた気がします。(亡くなった理由が病気であることも原因も種類も知っているのにね)
    ご家族と温度差があるのはつらいですが、私は家族と父のことを話すのをしんどすぎて避けていたので、同じようなものかもしれません。
    つらさは乗り越える必要はありません、お父さんが生きていたことはあなたの一部です。悲しいのは当たり前です。お父さんはいなくなりましたが、お父さんがいた穴はこの世にぽっかり空いています。
    なくなった方を思い出すのが供養だという言い方があります。父が亡くなるまでははあ?供養?そんなのいらん、自分が死んでも供養いらんしと思っていました。
    でも時々思い出したりだらだら泣いたりして、これは供養だと思うと心が落ち着きました。あんこさんはお父さんがいなくなった穴を感じて泣いたりぐったりして供養してあげてるんです。思い出すことも減って笑える日が増えれば、亡くなったお父さんは安心して喜ぶからこれも供養です。
    一生懸命生きれば全部供養です。
    あんこさんはお父さんを少し早くなくしたので、友達や未来の旦那さんが親を亡くしたとききっと一番欲しい言葉をかけてあげることができるようになるでしょう。毎日の少し幸せなことを、他の人よりもっと輝いて見る事ができるし、今までならどうでもいいことで腹を立てていたのを優しくできているでしょう。いつか終わりがくることを本当に知っているんだから。
    落ち込みたい時は落ち込んでいっぱい泣いて、やれることを少しずつやるしかない時だと思います。
    「ただ、しのぐ」だけの日もあります。お皿も洗えない日もありますよ。今日がダメなら次の日洗ってもいいし、なんなら菓子パン食べれば1日2日どうってことないし外食行けるなら外に出ればいいんだよ。時間はとてもやさしい薬になりますよ。あまり思いつめないでね。

    • あんこ(投稿者) より:

      まるん様
      お父様のこと、御愁傷様でした。
      「なんで?」と言ってしまう、まさのその通りです…。「なんで?わからない」と、わかっているのに繰り返してしまいます。
      この悲しみの時間、またそれでも生きていることが供養とのお言葉、とても救われました。
      ぐったりしてもいい。そう思えば少し楽になりました。
      優しいお言葉、本当にありがとうございます。

    • パパロス より:

      すごくじんときました。
      私にも重なり、貴方の言葉がとても励みになりました。
      私も今年5月に父を癌で亡くし、最後まで病室で一緒だったので、今でもその日々を思い出し、闘病を残そうと毎日スマホで写メ動画撮影していたので、想う時は写メや動画の父を眺めます。苦しむ姿もあえて撮影していました。亡くなる寸前の姿も。→まさか亡くなるとは思わず、担当医に症状を説明するためでした。あまりに苦しみ、ナースを呼び、点滴入れたその直後、息が止まったんです。その場面が今でも恐ろしくてたまりません。とにかく、忘れる事は絶対にできない。父の代わりもいるわけない。私の悲しみは誰にもわからない。いつか自分も必ず死が訪れる。父に会えるんだから、病気も死も怖くない。と思います。思い出す事、泣く事、全てが供養と思う事にします。ありがとうございました。横槍すみません。

  2. ピーコちゃん より:

    はじめまして!
    最初にファッジ様
    毎日楽しく拝見させていただいてます。
    ありがとうございます。

    あんこ様
    はじめまして。
    私は昨年の2月末に父をガンで亡くしました。
    どういうわけか、大きい病院であればあるほど、お医者さんがあてにできず、これはもうダメだと、母と二人の素人二人で、在宅で父を看ていました。(ヘルパーさん等使っていません。)弟は仕事のため、父の方はあまり協力できませんでした。

    また、通院当初、母は私に任せきりで、父への辛い宣告等も父と二人で受けたりしました。
    後に、母も一緒に通院するようになりました。

    父が亡くなったあと、父が生きていた時、真夜中でもスマホを開き、父にできることはないかと調べていた癖がつき、真夜中に起きてスマホを見る事が週間になっていたり、

    ショッピングモールやテレビ等で、父にそっくりな方を見かけると目で追ってしまい、お恥ずかしい話、泣いてしまったりします。

    昨日は「〇日、お父さんに車出してもらえないか聞いてみよう。」なんて考えたりと、一瞬生きてるような錯覚を起こしました。

    実は今朝も、父が闘病中だったことを思い出し、この寂しさは癒えるのだろう、もしかしたら私だけがこんなに辛い思いをしているのかな?
    あんこ様と同じように、これから何人見送るのか、その都度こんな思いをするのか?と
    激しく落ち込みました。

    そんな時、あんこ様のご相談が目につき、私だけじゃないんだ皆同じなんだと、失礼ながらも共感させていただきました。

    アドバイスにもなんにもなりませんが。
    あんこ様に、どうしても何か伝えたくなりコメントを書き込ませていただきましたがまったくの駄文ですね、申し訳ありませんでした。

    • あんこ(投稿者) より:

      ピーコちゃん様
      お父様のこと、御愁傷様でした。
      昨年2月だと、まだまだ最近のことですね。お辛いことと思われます。

      病院からの告知、お医者さんがあてにできず自宅介護、兄弟は仕事で協力できない、全部私と全く状況でびっくりしていしまいました。
      あの辛い状況を、同じ時期に同じように過ごしてきた方がいるのだと、終わってしまった今更ながら心強く思います。

      全く駄文などではありません。
      私も同じように、同じだったんだ、と共感することで、とても安心できました。
      書き込んでいただき、ありがとうございます。
      ピーコちゃんさんの心もゆっくりでも少しずつ癒されていくことを願っています。
      がんばりましょうね。

      • ピーコちゃん より:

        あんこ様
        返信ありがとうございます。
        そして、お心使いありがとうございます、
        あんこ様の返信を読ませていただいて、
        あんこ様が私と同じ時期に同じような辛い体験をされていた事を思うと胸が締め付けられそうになったと同時に「私たちは、ちゃんと責任を持って父親を見送る事ができたじゃないか!凄いじゃないか!」と思ってしまいました。

        遅かれ早かれ、いつかは皆が通る道とはいえ、辛いものは辛いですよね、亡くなってからどれだけ父親の愛が大きいものだったかを思い知らされました。

        昨年父が亡くなった時に、たまたま知り合いに精神面のカウンセラーさんがいまして、
        その方から教えていただいたことを書きこみますね。
        わかりづらく、受け入れられないかもしれませんが、何かのヒントになればと思いましたので書きますね。

        以下になります⬇⬇
        泣いて、ネガティブに落ち込んでも良い。
        お父さんとの良い思い出を思い出してたくさん泣く。

        外で泣きたくなった場合…時期的に花粉症のふりをして泣く。

        寂しい、辛い気持ち…時間が経てば減るが、すぐには理解できたり諦めたり出来ない。

        何故、理解できないか。

        私の視点…死んでしまって寂しい。

        お父さん(または他人の視点)…お父さんの魂が
        肉体の痛み辛さから解放されて良かった。

        私とお父さん(または他人の)視点があるため、なかなか、理解できない。

        親を亡くすという事は
        寂しくて、辛い、親孝行できたかな?
        という気持ちと、辛さから解放されて良かったという感情
        の相反する気持ちが行ったり来たりするため、苦しい。

        父に対しての後悔が大きければ大きいほど、父親に対する愛が大きかったそうで、またその逆もありまして、父が愛してくれていたそうです。
        以上になります。

        カウンセラーの方は、お母様を無くされた時に3年間とても辛かったそうです。
        3年経ち少しづつ辛さが軽くなっていたそうです。

        長くなってしまいました。
        私もまだまだ、行ったり来たりの状態ですが
        落ち込んだ時は布団を被り声をあげて思いっきり泣いていますよ。

        あんこ様とこの辛かった時期を共感できたことで、小さな一歩ですが踏み出せそうな気がします。
        本当にありがとうございました。

        • あんこ(投稿者) より:

          ピーコちゃん様
          カウンセラーさんからのお話、ありがとうございます。
          父が楽になれてよかった、いなくなって辛い、その気持ちの行ったり来たり…本当にその通りです。
          父への後悔の大きさが、父への愛の大きさ、そして父の私への愛の大きさになる。こんなにも愛してくれていたのだと、悲しみだけでなく感謝の気持ちも同時に持てるようになりそうです。

          私の気持ちを共有することで、ピーコちゃんさんの救いになれたことが、私の救いにもなりました。
          辛い時は、ピーコちゃんさんもがんばっているんだ!と思わせてください。
          お互いにゆっくり進んでいきましょうね。
          本当にありがとうございます。

  3. 関西人 より:

    こんにちは。
    お父様を亡くされ、悲しい事と思います。

    私は現在35歳。9歳の時に最愛の母を乳癌で亡くしました。

    今でも、時に母の写真を見て涙してしまいます。
    私は心にポッカリ空いた穴を埋めようと、10代20代と他の愛で埋めようとしたりしましたが、もがけばもがくほど悲しく。
    30代になった頃、「穴と共に生きていくのだ。これも自分の一部なのだ。」
    という境地にいたりました。

    5歳上の姉がおりますが、最近になってポツポツと母の思い出話をする事があります。
    少し複雑な家庭だった為、20数年母の思い出話をする状況にありませんでした。

    〉父の死後愛人問題が発覚したことから、母は悲しみどころか恨みが強く、家族も純粋に父を亡くした悲しみを語るに語れなくなってしまっています。

    とは状況は違えど、悲しみを素直に分かち合えなかった。という辛さは少しわかると思います。

    今は姉と悲しみをわかりあう。というよりは「母をいまだに愛している人が自分以外にもいる。」ということに少し安らぎを覚えます。

    私の乗り越え方というか、心のもちようですが、
    「一生懸命生きたら、お母さんが天国で待っててくれるはず!」と自分に言い聞かせる事です。
    子供じゃん!と自分で思いますが、子供でもいいかなと。だって悲しいものは悲しい。

    あとは一人でお墓参りに行くときは、母が好きそうな可憐な花を供えます。
    常識的ではないとわかっていますが、母はどの花が好みかなと花を選ぶ事で自分の心が少し癒やされます。

    乱文失礼しました。あんこさんに安らげる時間が少しでも増える事をお祈りいたします。

    • あんこ(投稿者) より:

      関西人様
      お母様を幼い頃に亡くされたとのこと、お悔やみ申し上げます。
      「穴と共に生きていく」という覚悟をなされるまで、とても辛かったと思います。
      確かに父を愛してくれている人がいることは、救いになりますね。悲しみだけでなく、愛を共有することを大事にしてみたいと思います。

      私も「親を恋しがるなど、子供ではないのだから…」と思ってしまっていましたが、子供でもいいかな、とのお言葉に安心いたしました。
      そうなんです、悲しいものは悲しいんですよね。

      好きな花を供える…今からでもできる親孝行という感じがして、とても素敵です。私もやってみようと思います。たこ焼きが好きだったので、お墓の前でたこ焼き食べようかな(笑)

      お優しいお言葉ありがとうございます。
      前を向けるよう、少しずつ進んでいきたいと思います。

  4. まこ より:

    あんこさん、亡くなられたお父様への悲しみが胸を刺すようです。心からお悔やみ申し上げます。

    私は5歳の時、3歳の弟を事故で亡くしました。
    子供とはいえ、その事故の責任の1部が私にある状況でした。その事で誰かに責められた事はないけど、突然弟がいなくなった悲しみと自分の罪におしつぶされて重い鉛の塊を抱えて大人になりました。
    40年たった今思うのは、この鉛の塊ごと私という存在なのだという事です。辛かったという言葉では言い表せないほどの苦しみでしたが、これがなければ今の私ではなかった。
    今、結婚し新しい家族に囲まれ、友人や職場の人にも恵まれ、平凡な毎日に感謝できるのも、ずっと私の肩に乗っていた鉛のおかげもあるのかと思うととても不思議な感覚です。

    辛いでしょうが、胸の穴はただあるがままにしてあげてください。穴は他のものではふさがりませんが、いつかその穴があんこさんの心を形作る大切な1部になるはずです。すぐでなくても、いつか婚約者さんやご友人とその話が出来るようになるといいですね。幸せなご結婚を心から願っていますよ!

    • あんこ(投稿者) より:

      まこ様
      お早くに弟さんを亡くされたのですね…お悔やみ申し上げます。
      重い鉛の塊、本当にお辛かったと思います。

      穴が自分の心の形を作る。ハッとさせられました。
      そう考えることもできるのですね。

      体験談とともに、結婚の祝福のお言葉、ありがとうございます。
      まこさんのように、この穴があるから私なのだ、と思える日が来ると信じてみたいと思います。

  5. なると より:

    頭ではわかっていても気持ちがついていけないのですよね。
    私も大切な存在を介護の末に亡くして苦しみ、朝目を覚まして自分が生きていることを悔やむことから1日がスタートしていました。
    心がざわついてどうにもならなくて、漢方薬を出してくれる病院に行きました。

    私の場合は更年期鬱も疑われる年齢だったので婦人科を受診しました。
    鬱と更年期鬱のどちらにも有効なプラセンタ注射週3回と漢方薬2種類で、2ヶ月後にはプラセンタ注射週1回と漢方薬1種類まで減らせるところまで落ち着き、治療を始めてから5ヶ月経った今はどちらも特別必要ない状態です。
    治療効果もあるでしょうし、5ヶ月の間に少しずつ心が整理されたのだろうと思います。

    こう思おう!とか頭では色々考えても心は別の反応をしてしまうときは、少しの間だけお医者さんの力を借りてみるのも良いのではないかと思います。

    漢方薬は依存性がないからいつやめてもいいし、突然すぐやめてもいいとお医者さんも薬剤師さんも言ってみえましたよ(^^)
    臨床心理士さんとお話できる病院もあるし、同じような立場の方と交流できる場もあると思うので、心を大切にしてあけでくださいね。

    • あんこ(投稿者) より:

      なると様
      大切な方を亡くされたとのこと、お悔やみ申し上げます。
      そうなんです、気持ちがついていかない、その通りです。

      プラセンタが鬱にも効くとは初耳でした。参考にさせていただきますね。
      漢方薬は昔生理痛や花粉症で飲んでいたことがあり、効果があったのを思い出しました。最近はずいぶんよくなったので飲んでいなかったのですが、心の方で飲むという発想がなかったため、試してみたいと思います。

      ついつい心を閉じ込めがちになってしまっていました。
      他の力を借りることもできるのだと思うとずいぶん楽になりました。
      本当にありがとうございます。
      なるとさんの心も癒されますよう、願っております。

  6. えす より:

    あんこさんこんにちは。お父様のことご愁傷様です。

    「ぽっかり空いた穴とともに生きていく」
    うまいこと言いますね、そのままだと思います。お父様ど出会わなかったらなかった思い出や感情と同じで、穴もその一つです。置き土産というか(つらいけど)。やれることはただ生きることだけです。

    私は28の時に母を看取りました。
    一番つらいはずの母の横で勝手ですが自分のことを無条件に愛してくれる存在がいなくなる恐怖がすごかったです。そのことに気付いて「もう(愛情を)あげる側(自分が親)にならないと」と思ったり、逆(子が先に亡くなる)より良かったと思ってみたり。

    結局辛いと思ったり、穴がふさがったように感じたりしながら、ぼやぼや生きて40歳近くで結婚し子どもがいます。「乗り越える」の意味が穴がふさがる、なら乗り越えたことにはならないかな。穴と共に、です。でも不幸ではありません。
    ちゃんと生きてやること全うしたらその先(死)に母がいるかもと思ったりする年齢になりました。もちろん死にたいわけではないです。ただ、死後の世界があったら母に再会できるなと思ったり、子どもにも自分が母に思ったように感じて貰えたらいいなというか頑張らないとなと思ったり、やはりやることがたくさんあるので、穴と共に生きるしかないんです。

    無理に穴をふさぐことも乗り越えることもしないくていいと思います。ただただ生きてください。
    同じコメント内で不謹慎かもしれないですが、ご婚約おめでとうございます。

    • あんこ(投稿者) より:

      えす様
      お母様のこと、御愁傷様です。
      思い出や感情と同じ。確かに、父との思い出があるからこそ、穴があるんですよね。

      自分のことを無条件に愛してくれる存在がいなくなることの恐怖。私も心細い時にそれを実感してしまいます。
      何をしてくれるからでもなく、ただそこにいる安心感が欲しい。
      それを求める側から、与える側になる。
      なぜかわかりませんが、今それを想像したらすごく優しい気持ちになれました。
      同じ不安に駆られたら、思い出してみたいと思います。

      不謹慎だなんて、そんなことありません。
      ありがとうございます。
      私も結婚して、その優しい気持ちと心の穴と共に、生きていきたいと思います。

  7. 私は鬼嫁 より:

    あんこさん、お父様のご看病大変でしたね。お亡くなりになったこと、本当に残念でした。親が何才でも悲しみには関係ありませんが、ご自身が30才では周りに経験者も少なく気持ちのやり場がないですね。

    自分のことになりますが、10年以上前に父を亡くした時は私もまだ40代で、両親共に健在の友人たちは私の悲しみにどう対応してよいか戸惑っていたようでした。

    そんな時、知らせを聞いて久しぶりに連絡をくれた友人がいました。それまで知らなかったのですが彼女もお父様を亡くされていたそうで、「寂しいよね、今の気持ちわかるよ、今から行こうか?」と言ってくれました。もう遅い時間でしかも遠方だったため会うことは叶いませんでしたが、気遣いが嬉しくて気持ちが楽になったことを覚えています。

    その時に、今まで彼女がお父様のことを言わなかったのは私にまだ家族を亡くした経験が無かったからかなと思いました。そして父を亡くしたことで、言い方は変ですが私も気持ちを共感出来る「仲間」になったのではないかと感じました。

    そしてその時に思い出したのはまだ親がいなくなるなんて考えもしなかった中学生の頃、病気でお父さんが亡くなったクラスメイトのことです。お父さんが亡くなったという話を学校で全くしないので周りもあまり気にしないでいたのですが、急にひとりの子と仲良くなっていつも一緒にいるようになり、ずいぶん経ってからその子もお父さんがいないのだと知りました。

    人の気持ちを想像して寄り添える人もいると思いますが、たいていの場合はやはり同じ体験をしている人にしかわかってもらえないと感じるのではないかと思います。

    私はその後歳を重ねて何人もの友人の親御さんのご逝去に接し、50代で母を亡くした時には心のままに悲しみをあらわすことが出来ました。

    皆さんがおっしゃるように大切な人の居なくなった穴は埋まらないものだと思っています。忘れたり平気になるというのも違う感じがします。たくさん思い出して涙を流しているうちに、ああそうなんだ、もう居なくてもう会えなくてもう話せないんだなと認められるようになるというか…

    とりとめがなくなりごめんなさい。慰めにならなかったかも知れませんが、あんこさん1人でもこれからもお父様をたくさん思い出してあげて下さいね。そしてもし気が向いたら増田ミリさんの「永遠のおでかけ」という本を読んでみて下さい。誰もがその人なりのやり方で亡くなった家族を思い出していることがわかると思います

    • あんこ(投稿者) より:

      私は鬼嫁様
      お父様のこと、お悔やみ申し上げます。
      「仲間」という感覚、その通りだと思います。
      周りの友人も優しい人ばかりで、口には出しませんが「父親がいる自分にはかけられる言葉がない」と思いながらも、言葉を選んで慰めてくれるのが感じ取れます。

      もう少ししたら、友人たちと悲しみを共有でき、またまるんさんが仰っていたように、その時に友人たちが欲しい言葉をかけてあげることができるようになるのだと思います。

      忘れたり平気になるのも違う。
      そうですよね、そうならなくていいんですよね。
      慰めにならないなんてとんでもないです。体験談、とても心に沁みました。
      おすすめいただいた本にも目を通してみたいとおもいます。
      本当にありがとうございます。

  8. ニコル より:

    あんこ様もお若いので、お父様もきっとお若かったかと推測します。
    さぞ、御本人も周りのご家族も本当に辛い思いをされたんだと思います。
    私の父も60歳で亡くなりました。当時は本当に辛くて、「亡くなった」なんて書きたくも無かったし、亡くなったの意味が分からないというか・・・理解不能でした。

    悲しみも、淋しさもずっと続きます。無くなりません。でも、その悲しみと淋しさにも「慣れる」と思っています。
    お父様への愛情、お父様からの愛情があんこさんをちゃんと支えますよ。
    同じ言葉を私も言われたのですが、その時はピンとこなかったのですが
    8年たった今は分かります。

    それと、お父様の人生は人より短かったかもしれませんが、その分、他の人よりも幸せだったのでは? お父様の人生については悲しまなくて良いと思います。私はそう思ってます。

    乱文にて失礼しました。

    • あんこ(投稿者) より:

      ニコル様
      ニコルさんのお父様もお早くに亡くなられたんですね…お悔やみ申し上げます。
      わからない。本当にその通りです。
      私はあえて「亡くなった」と口に出すことで、認めようとしていますが、それでもやはりわからないという気持ちの方が大きいです。

      乗り越えるより、慣れる、ですね。
      上手にこの悲しみと付き合っていきたいと思います。

      父の人生について悲しまなくていいとのお言葉に、気持ちが楽になりました。
      闘病中にしてあげられなかったこと、もっともっとやりたいこともあっただろうに、それを叶えてあげられなかったことの後悔に押しつぶされそうな時がありました。
      本当にありがとうございます。

  9. エリ より:

    あんこさん お父様の事心よりお悔やみ申し上げます。
    私は高校生の時父を亡くしました。「いってきます。」といつものように出勤したのに職場で倒れ最期を看取る事もできませんでした。余りにも突然の事で涙すら出ませんでした。しばらくしてから亡くなる前の晩に無口な父から言われた言葉を思い出し、それがまるで遺言のようで、やっと父の死を実感しました。
    最愛の娘に献身的に介護され最期を看取ってもらいお父様は幸せだったと思います。亡くした痛みが癒えるのは時が経つ事しか無いと思います。あんこさんもそろそろフィアンセとの新生活に向けて焦らずゆっくりと踏み出してみてはいかがですか?あんこさんが幸せに生きる事をお父様も願っていると思いますよ。私もですが、こちらのサイトの皆さんもあんこさんの幸せを祈っています。

    • あんこ(投稿者) より:

      エリ様
      お父様をお早くに、また突然亡くされた悲しみはいかばかりか、想像以上のものだと思います…。お悔やみ申し上げます。

      父が幸せあったと言ってくださり、ありがとうございます。
      父が見守ってくれていると信じて、少しずつ気持ちを前に向けたいと思います。
      エリさんやみなさんのお気持ち、本当に本当に嬉しいです。ありがとうございます。

  10. あい より:

    あんこさん、心よりお悔やみ申し上げます。
    私も13年前の25歳、結婚式の一週間前に父を亡くしました。同じくガンの闘病生活をしており、母とは離婚済み、兄とは没交渉状態で私だけが看病をしていました。また幼い頃よりファザコンを自覚していました。
    悲しみ…言葉にならないですよね。よくわかります。お辛いでしょう、悲しいでしょう。いいんです、それはそれだけあんこさんがお父様を愛していたし、また愛されていた証なのですから。
    でも、確実に言えることは、時間は確かに悲しみをやわらげます。年々…そうですね、5年位経ってからは、だんだんと穏やかに思い出せるようになりました。乗り越えるのに10年という言葉もあながち間違ってはいません。今では笑って思い出話をできるようにもなっていますから。
    穴が開いたまま…というよりは、楽しかった思い出や父の幸せな顔を思い出せるようになったのだと思います。それまでの私は、父へ何も出来なかったという後悔ばかりの喪失感、罪悪感ばかりだったので嘆いてばかりでした。でも父の65年の人生の内私は一部だけ、なのに不幸と決めつけてどうする、父は幸せな人生だったのだ、ということに気づいたのです。そう思えてからは、段々と家族での楽しかった思い出や写真を、穏やかに見られるようになりました。
    また、これは眉唾で聞いてもらえればいいのですが…
    私は夫婦関係もうまくいかなくて、一度、催眠療法に頼ったことがあります。前世療法といいますか、スピリチュアルなものです。
    そのときに父も出てきて話しをしまして、いつも見ていたよ、ずっと側で見ていた、全部知っているよ。大丈夫、これからも大丈夫。お前はいつも大丈夫だったじゃないか。看病は仕方ない、お前はあの時で精一杯やったろう、仕方ないことなんだ。
    夫君(主人のこと)にお前を託しているよ、夫君を愛せばお父さんにも伝わるから、もっと夫君を愛しなさい。大丈夫、いつでも会える、そんな難しいことじゃない。大丈夫、愛はただそこにある、感じるだけだ、感じなさい。
    と、言われまして…
    そうか!じゃあ主人を愛そう!と都合よく解釈しまして…今に至ります。又、なんかあったら独り言で父に話しかけています。ちょっとー、見てるなら何とかしてよねー!とか。

    最後に、経験のない人とは共感できませんが、親友はただ側にいてくれました。私が泣き続けるのを、何も言わず横にいてくれました。1時間以上かな…。私もあんこさんのように我慢して周囲には笑っていたのですが、友人の母が亡くなったお葬式で涙を止めようがなく…
    主人は一緒に泣いてくれました。やはり慰めの言葉も何もなく、ただ抱きしめ続けてくれました。
    愛があるって、そういうことなんだと思います。
    あんこさんは皆さんに愛されていますよ、大丈夫。甘えられる人に甘えることを我慢しないでください、きっと寄り添ってくれる人がいます。
    お父様も見守っています。大丈夫です。
    長文ごめんなさい。

    • あい より:

      すみません、もう一つだけ…
      今、一歳半の娘がいます。
      ただただ愛おしく、何があっても守り抜く、全身全霊で守り幸せにしたい存在です。主人は今年40歳、父と私と同じ年齢差。
      あぁ、父もこんなに私を愛してくれたのか、こんな風に幸せにだったのか、こんなに愛に溢れた世界があったのか…と37歳にして知りました。
      娘に何かしてもらおうなんて思いません。ただただ元気に、健康でいてくれるだけでいい。笑って幸せでいてほしい、悲しむことなんてさせたくない、と心の底から思います。
      きっと一生、それこそ私の寿命が尽きても思うでしょう。もし娘が私のことで泣いたら、泣かなくていい、貴女は私に望外の幸せと喜びをくれたのだと伝えたい。父も、きっとそう思っているでしょう。

      婚約者さんとの将来に、きっとそんな世界が待っていると思います。どうぞお幸せに、心よりお祈りしています。

      • 通りすがりの者ですが より:

        あんこさん
        お父様のこと、お悔やみ申し上げます。
        皆さんのコメント、私は泣き虫なので
        後学のためにというつもりであえてクールな気持ちで、
        読ませていただいていますが。
        どれも、胸がいっぱいになる言葉ばかりです。
        あんこさんにも安らかな日々が訪れることをお祈りしています。
        あいさんの、お嬢様へのお気持ちを読んで
        とうとう涙腺決壊です。
        お幸せですね、
        お嬢様も、旦那様も、そしてお父様も。
        こんなにもすてきなラブレターがあるでしょうか。
        私は残念ながら子宝には恵まれませんでした。
        50歳でようやく乗り越えたつもりですが、
        またちょっぴりうらやましくなってしまいました。
        あんこさん、あいさん、これからも、もっとうんとお幸せに。
        ありがとうございました。

        • あんこ(投稿者) より:

          通りすがり様
          私も涙をあふれさせながら読ませていただいています。
          こちらこそ、お優しいお言葉ありがとうございます。

    • あんこ(投稿者) より:

      あい様
      結婚式の一週間前にお父様を亡くされたとのこと…言葉で現せない悲しみだったと思います。心からお悔やみ申し上げます。

      そうですよね、父の人生の一部、特に最後の数年をだけを見て嘆き悲しむことは父にとっても不本意ですよね。

      催眠療法があいさんの手助けになったんですね。
      私も、たとえ幻想でもいいから父に会って、何か言ってもらえたらなぁ。でもきっと、あいさんのお父様と同じようなことを言われるような気がします。
      あいさんのお父様のお言葉、私の支えにもなりそうです。ありがとうございます。

      私の婚約者もそばにいる時や電話の時は、慰めの言葉はありませんが、ただただ黙って聞いてくれ、抱きしめてくれます。
      その愛に今は甘えさせてもらい、いつが誰かに、もし子供ができたら子供に甘えてもらえるようになれたらいいですね。
      お心遣い、本当にありがとうございます。

  11. 華雪 より:

    あんこさん、お辛い現状お察しいたします。

    私は4年前、50歳を超えたところで母を看取りました。
    幼い時から祖父母や親せき付き合いもあまりなく
    喪服は友人のご両親の時に着るばかりでした。

    母を亡くし、夢にも出てこない母を思い泣き
    母の生前の字を見て泣き、街を歩いていても涙がふいに溢れる毎日。

    ある方とお話ししたとき、その方は30代で母親を亡くされていたのですが、
    「3年、1000日はただ悲しい。そこから徐々に受け入れていく」と。

    50も過ぎた私ですが、今まで親を亡くされた方の気持ちなんて
    これぽっちも分かっていなかったな、と振り返り若き日に親を亡くした友人に申し訳なく思ったものです。
    経験がないので、経験してないものには分からない、当然ですよね。

    なおかつ、感受性の問題にあるのだと思います。
    同じ空いた穴でも、
    穴の大きさにのたうち回る人
    空いてるけど我慢できる人、
    空いてるのにあんまり痛くない人。

    私は母とはあまり良い関係ではありませんでしたが、
    最期数か月を看取りその経験と悲しみは大きな穴を空けました。
    私の感受性もあるのだと自覚しています。
    三年で穴は少し小さくなりました。
    しかし永遠に塞がることはないでしょう。
    その塞がらない小さな穴から、思い出を蘇らすのが母への供養だと思える様になった4年目です。

    今また父という新しい穴ができそうな
    現状ですが、もう私の子供時代を知る、そして思い出を共有できる人間がこの世から居なくなるんだと感じてしますと
    胸が苦しくなります。

    生を受けた時から死に向かってあるいているんだから
    自分も人を恨んだり、妬んだりせず
    人生を丁寧に、また時には軽~く生きていけたらと思っています。

    あんこさんも感受性の鋭い方だと思います。
    穴は塞がらなくてもいいじゃないですか。
    空けたまま、婚約者様と自分なりの新しい生活を落ち着いて築いていってください。
    多分、娘のような年齢のあんこさん、うちの娘がそんな風に、私が亡くなった時に思ってくれたら私はきっとあの世でうれしいかも、です。
    でもあんまり悲しむと心配・・

    あ、現実はうちの娘はあっけらかんと受け入れるの目に見えるので(笑)
    あんこさんのお父様がうらやましいかな。
    私のようにおばちゃんになっても苦しいのに
    その若さではおつらいですね。
    パソコンの向こう側にいるあんこさん
    穴は小さくなりやがてケロイドのように盛り上がるかもしれません。
    しかし、忘れないというのもご供養だとおもいます。
    幸せになってください。
    心よりねがっております。

    • あんこ(投稿者) より:

      華雪様
      お母様のこと、お悔やみ申し上げます。
      他の方も3年と挙げられていらっしゃいました。一つの節目なんですね。今はまだその半分。いえ、もう半分と思っていきたいです。

      穴から思い出を蘇らせるとのお言葉にハッとさせられました。
      ふさがってしまったら、その思い出の穴もふさいでしまうように思えてきました。

      忘れないことが供養。そう思って前を向いていこうと思います。
      本当にありがとうございます。

  12. ひよこ より:

    私は12の時に母を亡くし、そのアーティストの言葉がそのまま当てはまる状態で30年ほどが経ちました。今もぽっかり、埋めようともせず共存してます、それが私です。

    最初はただ悲しいだけで。次は、自分だけがそこに取り残されることへの恐怖に変わりました。私は悲しみのどん底なのに、朝当たり前のように日は昇り、時間になれば新聞が届き、テレビはいつも通りの番組を流してて、友達は学校へ行きプリントを持ってきてくれて。ニュースで世界情勢は流れるのに、母の死は誰も気にもとめず。私だけが止まってるって事実に打ちのめされた時の孤独感っていったらもう・・・心に雷が落ちました。

    雷が落ちても私は生きてました、生きてることは止まらないし、生きるためには動かなくてはいけなくて。だから、動きました、母の死後三日目には学校へ行きました(行かされました)。世間に合わせて動くと、悲しみと向き合う時間が少なくなるので、気持ちは重くしてたいのにできなくなって。悲しみがなくなるのを待つのではなく、悲しみに心を持っていかないようにただ毎日を生きる、そンな感じでした。

    だから、ベッドから出てご飯を食べてください。身支度をして用が無くても外に行き、カフェで一杯飲んでください。そんなことに飽きたら、仕事に出たり、仕事がないならバイトを始めたり、ジムに行ったり、なんでもいいんです。忙しくしてください。辛くても涙が出ても、体は実は動かせます。そのうち涙は枯れますから大丈夫。あなたが心配してるより、体って意外と丈夫にできてるんですよ。心をその体に預けて、ただ乗っけるだけでもいいですから、体が少しでも動くなら動きましょう!太陽の下で、空を見てください!

    • あんこ(投稿者) より:

      ひよこ様
      幼い頃にお母様を亡くされたんですね…お悔やみ申し上げます。
      雷が落ちたという体験談、身につまされます…。
      ひよこさんのアドバイス通り、悲しみに持って行かれる時間をなくすよう、少しずつ予定を増やしてみました。
      今はただ悲しみが過ぎ去るのを、横目に見ながら生きていこうと思います。
      本当にありがとうございます。

  13. じん より:

    米津玄師さんの「Lemon」の歌詞をじっくり読んでみて欲しいです。
    私は夫を亡くした身ですが、この歌詞には人が亡くなった悲しみと 亡くなった方から見た悲しみ両方が描かれています。
    youtubeのMVをご覧になればおわかりになられると思いますが、米津さんがハイヒールを履かれているのは、多分恋人が他界されて行き場のない思いを描かれているのでしょう。
    米津さんはこの曲を作られている時に最愛の祖父を亡くされたそうです。

    生きている人がずっと悲しみに浸っていたら、亡き人が天国から愛する人の現様子を見たらどんな思いでしょうか?
    ♪涙にくれ淋しさの中にいるなら 私の事などどうか忘れて下さい♪と歌詞にあるよう声も届かない切なさに嘆き悲しむ事でしょう。
    ♪そんな事を心から願うほどに あなたは私の光♪
    そう!あんこさんはお父さんにとって「光」なんですよ!!!

    私は何の信仰心もありきらんが、もしも「霊」とか「天国」の存在があるとすれば、会話が出来なくても姿が見えなくても 生きている人間や生き物に対する気持ちと同様、相手を悲しませない思いやりの気持ちが必要だと思います。私もそうやって自分を励まして来ました。

    この米津さんのyoutube動画再生は今日現在2億7千回近くになっています。
    曲としてもイイですが、それだけこの歌詞に共鳴される方が多いのだと思います。
    即ち、悲しみに浸っているのは、私だけじゃない、そしてあんこさんだけでない!ということでしょう。

    誰しもですが、人生はいつ終焉を迎えるかわかりません。
    数十年後、お父様と再会された時、あんこさんが現生であった事を喜びいっぱいの土産話にしないと父に怒られますよ^^

    • あんこ(投稿者) より:

      じん様
      旦那様を亡くされたとのこと、お悔やみ申し上げます。
      Lemonを今までしっかし聞いたことがなかったのですが、改めて聞いてみると胸が締め付けられ、最後まで聞くことができませんでした。
      いつか平気になると信じて、そんなこともあったねと笑えるくらい、幸せな人生を歩んで、父に会いに行きたいと思います。
      ありがとうございます。

  14. くみ より:

    かつて父と大親友を続けて見送りました。
    父は宣告されてたので覚悟は出来てたはずなのに、いざとなるとボロボロでした。
    親友は入院はしてましたが、治る予定だったのに。
    ただただショックで辛くて辛くて。。

    落ち込み続けたある日、「ありがとう」と語りかけてみた。
    あの時は楽しかったね、ありがとう。
    あんなことやこんなことや一緒にしたね、ありがとう。
    そばに居てくれたね、ありがとう。
    毎日寝る前に思い出すことすべてに「ありがとう」と。

    私はこれで落ち着きました。
    父と友人の笑顔を思い出すようになりました。
    亡くした悲しさよりもいつか会う日が楽しみになり、死ぬのが怖くなくなりました。

    無理に乗り越えなくても良いと思います。
    その悲しさは愛情と同じものです。
    悲しく当たり前、だって大好きなんだもん!と開き直っちゃいましょう!

    • あんこ(投稿者) より:

      くみ様
      お返事遅くなりまして、申しわけありません。
      お父様と大親友ともいえるお友達を立て続けに亡くされたとのこと、心からお悔やみ申し上げます。
      大事な人が一人いなくなっただけでも辛いのに、お二人も亡くされた辛さは想像もできないほどだと思われます…。

      ありがとう…。
      そうですよね、思い出は悲しいものではなく、幸せなものであり、その思い出を一緒に作ってくれたことに感謝ですよね。
      今はまだ笑顔を思い出すと、その笑顔に会えない悲しみが強く出てきてしまいますが、私もその笑顔にありがとうと語りかけてみることにします。

      悲しさの分だけ愛が深いということも、とても幸せなことですよね。
      開き直って、笑っていけるようにがんばります。
      ありがとうございます。

  15. ひし より:

    あんこ様
    大切な人を失ったという気持ち、大変よくわかります。
    悲しみ方などは似ていても決して同じではないと思います。なぜなら大切な人への気持ちはその人だけのものだかと思うからです。 私は一年半ほど前に父親をなくしました。 病気とかではなく、仕事中の事故によるものでした。当時私も仕事中で、突然 家族から父さんがドクターヘリで運ばれたと聞き 一瞬何か起きたのか理解できませんでした。 急遽仕事を変わってもらい直ぐに病院へかけつけました。 しかし、3日間の治療後に亡くなりました。結局一度も意識は目覚めず 一言も交わすことができませんでした。 今も病院での光景は忘れることができません。 日常のなかでもやはりふと思い出してしまいます。 つらいです。悲しいです。悔しいです。と未だに思います。事故が起きた一年前に還暦祝いをしたばかりでした。これから楽しいことや親孝行をしていこうと思う矢先の出来事で頭がおかしくなるほど悲しく未だにどうすれば良いのかと悩みやがら生きています。皆様のコメントを拝見させて頂き少し前を向く力を分けて頂けました。感謝致します。まだ自分のことさえしっかり出来ていない自分が言うのはなんですが、悲しみを無くそうと思わず、大切な人を失えばこそ当たり前のものだと思いながら前へ進みたいと思います。

〜 コメントを送信する前に 〜

井戸端会議に遊びに来て頂きありがとうございます。
コメントを頂くことで成り立っているこのコーナー。
コメンテーターの方には大変感謝いたしております。

ネットの向こう側には、悩んでいる方、苦しんでいる方がおられます。
コメントをされる方は、その気持を汲んでいただき、配慮ある言葉選びをお願いいたします。
『それは違うよ!』と思われ、相談者さまとは別角度からのアドバイスを書き込まれる場合、あまりに強く否定的な文脈ですと、文章の主旨が届く前に心を閉ざされる場合がございます。
相談者さまにとっての良い〝気づき〟となるような、心に届くような気持ちでお書きくださいますようお願いいたします。
井戸端会議が多くのお嫁さんにとって有意義な相談場所となるよう、ご協力よろしくお願いいたします。

おすすめ記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


+ 7 = 15