夫と宗教が違います。私の両親と教会に行きたいと…

まるごさんのご相談

私と夫は信仰している宗教が違います。

結婚する時はお互い特に信仰する宗教はなく、ドレスが着たいという理由でホテルのチャペルで挙式しました。

正月は神社へ初もうでに行き、お盆はお墓参りをし、クリスマスも普通に祝うような夫婦でした。

夫はメンタル面が不安定なところがあり、それを補いたいためか、神社巡りにハマってみたり、仏教のお寺の座禅会に行ってみたり、キリスト教の礼拝に行ってみたりすることがありました。

そして夫は3年ほど前にプロテスタントの教会で洗礼を受けて、クリスチャンとなりました。

私は以前のまま、特定の信仰がありません。
夫に教会に来るように誘われますが、断っています。
以前、子供が教会のキャンプに数時間遊びに行ったことがあり、その時に付き添いとして行ってしまったので、夫としては「もうひと押しすれば教会に来てくれる」と思ってしまったかもしれません。
誤解されるような態度をとって、かえって悪かったと思ってます。

夫が息子(小学校低学年)を教会の日曜学校に誘い二人で出かけたことがありますが、息子はあまり楽しくないし、行きたくないと言っています。

私は息子が行きたくないなら、構わないと思いますが、夫は教会にさえ行けば、大人しいわが子が社交的になり、これからいじめを受けることもないと信じ込んでいます。
(実際はいじめを受けてませんし、夫の取越し苦労です)

前置きが長くなりすみません。
来月、私の両親が遠方から遊びに来ます。
その週末の日曜日、教会でイースターをするそうで、夫は私の両親を含め、家族全員で教会に行こうと言うのです。

私の両親も特定の信仰はありません。
でも、夫がクリスチャンになったことは快く思っていないようです。
夫はただ、私の両親を教会の方々に紹介したいだけだと思います。
でも、遠方から両親が来てくれるのに、観光案内ではなく、まず教会へ一緒に行きたいという気持ちが理解できません。

夫にとっては日曜日の礼拝は重要なことなので外さないでしょう。
私と息子が両親を観光に連れ出せばいいのですが、なんとなく寂しい気持ちです。

これは、信仰の違いとして受け止めればよいのでしょうか。


信じているご主人は勧めたいだろうけど
きっぱりと、一線引いておきたい

難しい問題ですね。
信仰は自由です。
今のご主人にとっては、精神的支えであり
大切なものになっているのでしょうね。
でも多くの方々はまるごさん同様
勧められると大変困ってしまうものです。
寂しいですがここは割り切って
息子さんとまるごさんで
ご両親さまと観光されることをオススメします。
このままだとまるごさんが、ご主人と深く話をする事が
出来なくなっていくのではないかと心配です。
皆様、ナイスアドバイスお願いします!


カテゴリー: 夫婦, 実父母


夫と宗教が違います。私の両親と教会に行きたいと… への29件のコメント

  1. なはっち より:

    はじめまして。
    ちょっとうちの実家と似ているのでつい、他人事とは思えません。

    うちの実家は、父と母が結婚した時は、どちらも無宗教でした。
    でも姉が産まれ、二年後に私が産まれ、そして私が1歳か2歳くらいの時に父がクリスチャンになりました。(同じプロテスタント系です)

    そして日曜日は子供2人、そして父と3人で教会にいってました。
    母は基本お留守番。
    というか…母はその時は教会大嫌いだったと思います。
    なぜなら、父の最優先事項が、家族ではなく教会に見えてたからだと思います。(実際そうだったと思いますし)

    日曜日にかぶる旅行があったときは、観光の前に教会にいかされました。
    当時私は教会は友達もいるし、大好きではありましたが…結局半日以上潰れ遊びにいけないとか多々あって、そういうところは大嫌いでした。
    あと外食の時に、お祈りさせられるのも嫌でした。

    宗教ってすごく難しいですが、私の通っていた教会に限って言えば、信じていない人を無理やり勧誘するような(某新興宗教のような)勧誘は一切ないし、いきたくなければいかなくてもいいと思います。
    ただ、宗教ってその人の根本になってしまうことなので、先入観を捨てて一度旦那さんにお供してあげるのもいいかとは思いますが。

    ご両親がきて観光に連れて行ってあげたいとのことですが…旦那さんも一緒には当分諦めたほうがいいかもです。

    ちなみにかたくなに教会を否定していたうちの母ですが、今は神様を信じてクリスチャンです。でも…行きたくないときは行かないし、信じてるから無理して教会にいかなくてもいいじゃんって考えみたいです。
    教会大好きな父はその考えには反対みたいですけどね。

    なんだか自分の話になってしまって、全然アドバイスになってなくて申し訳ないです。

  2. QJ より:

    まるごさん、こんにちは。

    まるごさんのおうちと、立場が全く逆の者です。
    自分の身内の人間が、一緒に教会に来てくれれば良いなあと、私も何度思ったことでしょう。

    教会に誘うのは、クリスチャンとして、気持ちは分かりますが、世の中、理解してくれる人ばかりではありません。逆の人のほうが多いかも知れません。

    私だったら、(同居している)舅と姑を、余程の事が無い限り、教会に誘うことは無いでしょう。彼らには彼らの信じている信仰があるし、無理に誘っても来ないと思うし、です。

    誘っても気乗りのしない方々を、無理に誘うのはどうかと思います。しかし、クリスチャンでない方々を、教会にお誘いするのに、クリスマスやイースターのほうが、誘いやすいのです。クリスマスに、「そうだね、行ってみようか」と、来て下さる方々もいます。そのような気持ちで、ご主人は、お誘いになったのかもしれません。

    普通の何もない日曜なら、ご主人も教会にお誘いされなかったかも知れません。イースターだから、です。

    たとえば、礼拝の時間だけとか、教会学校の時間だけとか、教会学校と礼拝の時間ではなくて愛餐会(昼食)に来てもらうとか、妥協案を考えて見られては、如何でしょうか? 半日を観光、半日を教会、では如何でしょうか?

    お誘いされてそれでも、どうしても、実家の方々がお嫌だとおっしゃったら、諦めてもらうしかないでしょう。

  3. ひらめ より:

    友人がクリスチャンでクリスマスの礼拝に誘ってもらったことがあります。

    宗派によって違うと思いますが、その時は
    「クリスマスはお祭り気分な要素が多いので楽しんでもらえるかと思って」との誘いでした。入信とかはまったくなく、
    自分を知ってもらいたい、
    イベントなので誘いやすい、
    お祭り自慢(ちょっと御幣がありますが)
    というところでしょうか。
    親からの信心なので、友人自身は「家の宗教」として受け取っているので、自分のところの「お祭り自慢」が大だと思います。

    誘われた私たち(そのほか友人)も、自分のところとはちがったお祭りとしてとても楽しい経験でした。その後もたまに普通の礼拝におじゃましたりし、彼女の言葉や考え方の基礎のいくらかはここにあるのだと知り、誘ってもらってとてもよかったです。

    友人同士、お互い自分のバックボーンを知り合えるのはうれしいことです。遠距離となりましたが、私もいつか自分の嫁いだ場所のお祭りに来てほしいです。
    イースターということならば、家族で楽しめるイベントも組み込まれていると思います。仏教の花祭りと同じ、お祝いのイメージですが、ご主人の宗派はどうなのでしょう。
    信仰は別、ということははっきりさせておいて、ご主人の信じる宗教への理解のために行ってもよいのでは。

  4. サルチャ より:

    まるごさん、こんにちは。

    うちの主人は、宗教学を学びましたが無宗教で、私はプロテスタントです。私は、彼が明確に「自分は無宗教である」と言うので教会に誘いませんが、彼もキリスト教について否定もしません。
    日本では「宗教」と聞くと真っ先にネガティブなイメージが浮かぶので、自分がキリスト教であることで居心地が悪い事が多くありました。今はキリスト教思想の上に成り立っている国に住んでいるのでとても自然でいられます。

    ご主人に教会に誘われて、まるごさんが断る理由は何なのでしょうか?
    やっぱり宗教と聞くと胡散臭さが先行し、身構えてしまうからでしょうかね?
    本来宗教とは、人生や思想の基盤だと思います。ご主人はそこにたどり着いたことで嬉しく、家族にも教えてあげたい、そして共有したい、と思っているのだと思います。
    ご主人が行ってらっしゃる教会が、キリスト教を名乗る新興宗教だったり、弱っている心に入り込んで金品を巻き上げたり、強制的だったり、あきらかにまるごさんから見て人道から外れていないのであれば(その教会について調べてみればわかると思います)、一度ご主人を理解する意味で一緒に行ってあげてみてはどうですか?
    配偶者に否定されたり拒絶されたり理解を放棄されることほどつらい事はないですし、そうなるとますますご主人は頑なに教会にのめり込んでしまう可能性はないでしょうか?
    遠方から来て下さるご両親をまず初めに教会に連れて行くというのは、娘家族に会いに来たご両親をがっかりさせてしまうかもしれません。(ご主人がクリスチャンになった事を快く思ってないならなおの事)ご主人には、日曜日だけはご主人抜きで観光するので(みずいらずも楽しい
    ですよね!)、そのほかの日は一緒に観光する計画を持ちかけつつ、今度一度教会に一緒に行ってみるねと付け加えると言うのはどうでしょうか。歩み寄りつつ離れるわけです・・・

    キリスト教に限らず知らない事を知るのは楽しい事ですし、知ることによってまるごさんがどうして信仰を持つことやキリスト教がいやなのか自分でもはっきりすると思います。また、知ることでご主人が教会に行くことに対してさびしいと思わなくなると思います。
    まずはご主人が行っている教会が、人々を熱狂させてそれ以外考えられなくしてしまうような怖いものでないのを確認してくださいね。お子さんが「楽しくない」というのも子供の直感でなにか感じたのかもしれませんしね。そして楽しくないなら行かなくていいと思いますし、ご主人もそれは尊重するべきだとやんわりと(゚ー^*)言ってあげて下さいね。

  5. サブレ より:

    私は、プロテスタントのクリスチャンで、主人は無神論者で、教会を嫌っています。
    逆の立場から、ちょっとだけ書かせてください。
    まず、クリスチャンにとっては、日曜の礼拝を守る事は、とても大事な事ですから、家族を優先してほしいな、と思うお気持ちはよく分かるのですが、彼にとっては仕事より何より大切なことですから、それは理解してあげると、ご主人は嬉しいと思います。
    時間の使い方が教会が第一になるとしても、家族に対する愛は減りません。
    むしろ、本当のクリスチャンだったら、家族への愛も、他の人への愛も、何倍にも増えるはずです。
    そして、愛する家族に一緒に彼にとって大切な場所である教会に来て欲しい、と思うのは、家族を愛するからこそだということを理解してあげてください。
    だからといって、今の状態で、教会にかよう気持ちにならないのはよーく分かります。正直に、行く気はない、と伝えてもいいけれど、彼にとっては、全て愛から出て、よかれと思ってしていること(のはず)なので、断る時は、優しくしてあげてくださいね。

  6. そらまめ より:

    こんばんは。

    友人がクリスチャンで,親戚にもそういった人がいたので,敷居が低く,
    クリスマスには友人のかよう教会に子供を連れて行ったりしてます。
    教会それぞれに特色があり,友人の教会はゴスペルを歌ったり
    クッキーがもらえたり,お茶をいただけたり,雰囲気がとっても明るい。
    なぜだろう,と考えると若い人が多いところかな。
    私が住んでる地域の教会は同居率高いところなので,お嫁さんが通って
    くることが多く,牧師様もそういった方々の話を聴くことが多いそうです。

    そうなってくると,子供を連れて行きたくなる教会とそうでない教会がある
    こともなんとなくわかります。
    お父さんが行く自由は認めてあげて,奥様は自分が行きたくなるような教会
    を探してみては?
    あと実家のご両親は巻き込まないであげた方がいいと思いますよ。
    私は友人家族が仲睦まじくいらっしゃるので,それも教会に行ってみようと
    いう気にさせる要因の一つです。奉仕の精神があり
    ああ,こういう生き方ができる人はやはり聖書を学んでるんだなあと思うのです。
    今聖書の勉強会で学んでますが,私の通う教会の牧師様は「洗礼ありき」の方なので
    読み物としてもおもしろい聖書についての興味しかないのが伝わるらしく
    時々怒られます。日曜礼拝も家族で過ごしてますのでほとんどいきません。
    聖書は嫁姑のことも書かれているし,家族のことが沢山書かれていて,
    ホットします。
    個人の趣向に近いものが日本の宗教だと私は思うので,
    いいものだから来て来て,といわれても押しつけられてる感じがしてしま
    うのは,私だけではないように思います。

  7. にゅい より:

    ワタクシはクリスチャン2世です
    (父が牧師 母は牧師をする資格はあるけど牧師ではない)
    日曜日に教会で礼拝をするのは
    ワタクシにとって息をするのも同じです
    イースターやクリスマスはできることなら
    多くの知人友人親戚と祝いたいです

    ワタクシは日曜日に教会に行くことを
    全面拒否されたら結婚生活は終焉となるでしょう
    息ができなければ生きていけませんから
    なのでもしワタクシが質問者さんの夫だったら
    離婚への運びとなると思います

    信仰の自由は好宗教でも嫌宗教でも
    どちらにもあるベクトルですよね?
    無宗教とおっしゃいますが離婚をしてでも
    無宗教を通されるのでしょうか?

    極論すぎると思われるかもしれませんが
    ワタクシの周りにいるクリスチャンはほぼ同様の意見です

    なぜ教会へ行きたくないのか
    理論的に考えてみたらどうでしょうか?
    愛してる人が信じるものに嫌悪感があるって
    そうとうヤバいと思います
    教会は1回行ったり見たりした程度で
    わかるようなものではないです

    年に1回初詣にいけてなんで年に1回イ-スタ-で
    教会にいけないのでしょうか?
    その程度で旦那さんがまずは満足してくれるなら
    歩み寄ってもいいのでは?
    愛してる人なのでしょう?

    またご両親が良い印象ではないとのことですが
    あなたの印象が伝わっているだけでは?と思います
    もしイ-スタ-にご両親が行きたくないなら
    ご両親が断ればいいだけではないですか?

    • まゆう より:

      え・・ちょっとびっくり。
      矛盾だらけ?

      >無宗教とおっしゃいますが離婚をしてでも
      無宗教を通されるのでしょうか?

      って、自分だって

      >ワタクシは日曜日に教会に行くことを
      全面拒否されたら結婚生活は終焉となるでしょう
      息ができなければ生きていけませんから
      なのでもしワタクシが質問者さんの夫だったら
      離婚への運びとなると思います

      て、結婚生活より宗教優先している。
      教会にいかされることは息が詰まる、息が詰まっては生きていけないとしたら
      同じことですよね。
      なのに同じ息ができなくても宗教優先はよくて、無宗教優先だと”結婚生活よりそっちがだいじなのか”になるの?

      >愛してる人が信じるものに嫌悪感があるって
      そうとうヤバいと思います

      逆もまたしかりでは?
      愛してる人が嫌悪しているその理由を知ろうともしないなんて
      それで神様を優先するなんてクリスチャン以外の人からすれば相当やばいよ。

      >またご両親が良い印象ではないとのことですが
      あなたの印象が伝わっているだけでは?と思います
      もしイ-スタ-にご両親が行きたくないなら
      ご両親が断ればいいだけではないですか?

      久々に会いに来るご両親が嫌と言っているものを
      尊重してあげたったいいのでは。
      キリスト教とか、宗教に関わったことのない
      親世代の人たちはたいていどんな宗教にも
      難色を示すんでは?相談者さんの印象云々ではなくて、普通の反応だと思う。
      自分の親を大事にしないで、なにが宗教だよ。という印象を受けますね。
      こういう態度の人が多いから
      宗教に関わるのを敬遠されるんじゃないのですか?

    • maru より:

      私もちょっと疑問です。
      相手の宗教、無宗教を尊重するべきは
      お互いに、でしょう。
      教会に行きたい人は行けばいい。
      誰も止めるべきではない。
      そして教会に行きたくない人は
      行かなくていい。
      離婚するかどうかで脅すのもどうかと思います。
      矛盾してますよ。

  8. 子トラの母 より:

    同じように無宗教だったはずのご主人が結婚後特定の宗教の信者になる…そんなことってあるんですね。
    ご家族に対するご主人の愛情が変わらないのは当然ですが、それでも日曜の午前中はこれから先ずっと別行動と思うとなんとなく寂しいと思うまるごさんに大いに共感します。
    それでもまるごさんは、ご主人の洗礼にも反対せず、礼拝に行くことを受け入れていらっしゃる…ご主人を信じ、尊重し、愛していらっしゃるからだと思います。
    ご主人にもまるごさんが無宗教で生きるという選択をしていることを認めてもらい、お互いに尊重しあえればまるごさんも安心できるのではないかなと感じました。
    日曜日は家族にとっても大事な時間ですので、それを礼拝に奪われる家族の気持ちにも寄り添ってくださるといいのに…。
    まるごさんのご両親に教会に来て欲しい、と誘う以前に、礼拝があるので観光にご一緒できないことをまず申し訳なく思ってくれたら、まるごさんの気持ちもだいぶ違っていたのでは、と思ったりしました。
    的外れだったらごめんなさい。

    • 茶々 より:

      私もそう思います。

      自分の信仰を家族が受け入れてくれている。
      ならば家族がそれに参加しない気持ちを、ご主人は受け入れるべきです。
      お互いに認め合わないといけないと思います。
      早い時期に夫婦で話し合った方がよいような。。。

      私は母方が僧侶の仏教家系です。
      相手の気持ち・信仰(無信仰も)を自分と同等に大切にするべきだと思う。

  9. hakase より:

    疑問なのですが、プロテスタントの方はご自宅では礼拝できないものなのですか?そして、どうしても日曜日ではないとダメなのですか?教義的なものがいろいろとあるのは想像できますが…

    神様への信仰や礼拝は、教会という場所に行って、他の仲間の方たちと、ある型を通して共有しないと成立しないものなのですか?その方が感動するし高揚するし、仲間と共鳴共感し合って気持ちがよくなるというのはわかるんですが(私も体験済みですし、聖歌隊もやっていました)、その型から多少はずれた形をとってでも、自分の家族の心情を(時には)大事にするというのは、神様の愛に適ったこととはならないんでしょうか。神様とは自分の心でお話しするものと私は思いますが…

    宗教はある決まった「型」を取ることを非常に大切にしていて、妥協を拒む時がありますよね。たとえば「日曜日に必ず教会に集まって神様のことを真剣に考える時間を取り、仲間たちと特別な合同礼拝をする」ということは、「俗世から意識的に聖なる時間を切り分けて持つことに、十分配慮できるほどの強い信仰心」の証明なのでしょう。

    このように「俗世との妥協を拒むこと」そのものが「真の正義」と思われていたりする場合が多々あるので、宗教に熱心な方であるほど、信仰の型にかたくなになられることがあるなぁと、これは私の身内を観察していて思うことです。

    「真の正義」って一体なんでしょうねぇ~…私の体験から言うと、「真の正義」は多分にまわりの人を傷つけることがあるということです。たとえ本人にそのつもりがないとしても。むしろ「愛」によってそれを行っている(とその人が思っている)ときが一番怖いのです。

    信仰は時に、ある人たちにとって、それこそ空気と同じぐらいに大事なものなので、信じている人にとってそれは本当に大事なものだということは、わかります。ただ、それが他の何にもまして大事なもので、その上を踏んで歩いてゆくことが最上の行為で、それ以外は下位のものだ、と思いこむとなると…なぜでしょうか、どうしても、周りにひずみができてしまうのですよね。それを周りの人間の不徳とするか、自分の思い方がそのひずみを作っている?と考えるか。

    信仰は個人的なものなので、個人の内部でどんな信じ方をしてもいいと思います。それは尊重されるべきです。でも、事実として、強すぎる思いは、なぜか周りとの間に歪みを生んでしまう。歪みができてしまうやり方は、それほどいいものには私には思えません。

    私が大学時代に一番尊敬していた先生はアメリカ人宣教師(プロテスタント)の女性でしたし、彼女の人柄は彼女の信仰あってのものだとはっきりと見えていたので、宗教の中には素晴らしいものがあるということは十分に理解しているつもりです。

    彼女に誘われて、私は純粋な楽しみや勉強のために、彼女の主催する教会に通っていた時期がありますが、そこに来ていた方たちは無理な部分がまったくなく、「ただ自分が信仰しているから」というように、いい意味で淡々と悠々とされていて、居心地がよかったです。一度だけそこに通われている日本人の方に「あなたは洗礼を受ける気はないの?」と聞かれたことがありますが、はっきりその意志がないことを告げた後は2度と触れられることはありませんでしたし、その後の関係も良好でした。

    長く書いているだけであまりまとまりがなくて申し訳ないのでここで終わりますが、
    何が言いたかったのかというと、信仰について他の人に知ってもらうのも、アプローチ次第だということです。相手に身構えさせない誘い方ができる方もいますから。

    「自分の家族だから、家族につながる人だから、大事な人だから、この喜びに気づいてほしい、共有してほしい」と熱く願う気持ちはわかりますが、こういう流れで義両親をお誘いするのは少々反則技かな?という気がします。断るにしても気を遣ったり気まずくなったりしますものね。そのあとのお付き合いの仕方も考えてしまいますし…「また誘ってくるんじゃないかな?」と警戒しながら接しないといけないというのはとても苦しいです。だんだん接触そのものを避けるようになってしまいますよね。

    どうしても人を誘ってその世界を伝えたいという「自分の個人的な欲求」(この部分、自覚してほしいですね)があるなら、お友達などを誘ってみるぐらいがちょうどよいのではないでしょうか。家族にはどうしても有言無言のプレッシャーがかかってしまいますもの。

    結婚前からそういう信仰があって、それを見せていたというのならまだしも、結婚してから新しい考えを持たれても、ちょっと付き合いきれないこともありますよね。旦那様の信仰を否定するつもりはないけれど、暗に明に「一緒」を強要されるとかなり苦しい、ということを正面から伝えてみてもいいのかもしれませんよ。

    って、人に言うのは簡単で、私もなかなかできてませんが~ 🙄
    私の場合はイスラム教なので、もっと激しいですよ!
    「自分の方がまだ少しはまし」と思えたら、少しは気が楽になるかな~(笑)。

    • yukon より:

      ええと。クリスチャンではないものの、縁あって中~短大までプロテスタント系の学校に行っていたものです。
      で、聞きかじりの知識がちょっとあります。

      聖書に、
      わたしはぶどうの木であり、あなたがたは枝です。・・・・・わたしを離れては、あなた方はなにもすることができないからです」(ヨハネの福音書15章5節)
      ある人々のように、一緒に集まることを止めたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近付いているのを見て、ますますそうしようではないか」(ヘブル書10節25章)
      などなど、ほかにもっと適切な箇所があるともおもいますが
      何しろ皆で集いなさいというような教えがあるようです。
      それに教会というところは神・精霊・神の御子を”賛美”するところなので
      たとえはかなり違うけど神社に行って柏手を打つのは家にいてはできないので
      まあそういう感じといってもいいのでは。(クリスチャンの方間違っていたらスミマセンが私なりの解釈です)
      もちろん自宅でひとり賛美礼拝するもよしでしょう。
      しかし、また教会にはいかない”無教会派”といった宗派の方たちもいらっしゃるので、例えば福音派に属していながら勝手に教会に行かずに過ごすというわけにはいかないんでは。なのでどこに属しているかというのもかかわってくるのでは?

      しかし自分がそれによって救われ、いいと信じているものは家族にもわかって欲しいと思うのは人情。この辺なーんとなく永遠に平行線のような気がしますけどね・・何しろ向こうとしては、この平安を家族にも、と思うのは当然だろうし。

      • hakase より:

        はい、yukonさんの仰った内容は私も大学で習ったので大体わかります。「教会に欠かさず通う」ということがとても大事なことで、信仰の(証明の)中心的なことになっているのですよね。「教会」というのはズバリ「集会」で「会衆」としての一体感が大事なわけですから。「ひとりでやったって意味ナーイ!」んじゃないかと察します。なので、知った上で、あえて、の形で言ってみた、ぐらいの発言でした。

        だから、別に「いつも」じゃなくていいんですが、>自分の家族の心情を(時には)大事にするというのは、そんなに完全に無理なことなのかなぁと、そういう書き方をしたんですね。でもたぶん無理なのでしょう。だからお互いに苦しいということですね。

        >しかし自分がそれによって救われ、いいと信じているものは家族にもわかって欲しいと思うのは人情。この辺なーんとなく永遠に平行線のような気がしますけどね・・何しろ向こうとしては、この平安を家族にも、と思うのは当然だろうし。

        永遠の平行線、yukonさん、うまいこと言いますね~!自分自身もその渦中にいるので、よ~くわかりますよ~。

        私が疑問なのは、「”宗教”というものは(と便宜上ひとくくりにしてしまいますが)、どうしていつも何かの形で信仰を証明し続けなければ成り立たないのだろうな」ということです。私は小さいころから勝手に(親の影響ではありません)神様を信じているので”信仰”はあるのですが、”宗教”となるとなんだか肌に合わなくなってしまうのです。

        ”宗教”の人は、「型」を守ることが成立条件、信徒である証明なんですよね。だから、確かに完全なる「永遠の平行線」ではあるのですが、私の対処法は、「100%イヤ!」と言っちゃうと家族としてかなり差しさわりがあるので、家族として成立し続けるギリギリの範囲では合わせるようにしつつ、自分の心が暗くならない程度にはブロックすることです(一時期頑張りすぎて私の精神がおかしくなりかけたので、調整につぐ調整です。相手から見るときっと堕落につぐ堕落・笑)。

        でも何しろ向こうは(って私のケースですが)100%を求めてきます。それはもう、常に明に暗に。でも自分が心からその宗教に入れ込んでいるのでもなければ、そこまで合わせようとすると、こちらの精神が壊れます(はい、私は壊れかけました。壊れないにしても、いつもモヤモヤ暗~い気持ちに)。

        経験者としてもしかしてまるごさんにアドバイスができるとすれば、「ここまではできるけど、これ以上はできない」という線引きを、できれば話し合いの上決めることでしょうかね。その線引きにしても、試験期間を設けつつ、まずやってみて、あとで調整する必要もあると思います。

        それから、宗教のことは特にデリケートな問題なので、お互いに決めつけるような言い方はしない方がいいかと思います。どちらかというと確たる宗教を持っている方のほうが強い姿勢を示すことになるので、まるごさんは上手に受け身をとりつつ、自分が苦しくなるポイントはうまくかわしていくという感じでしょうか。

        宗教という型をもっていなくても、個人個人の「何かを信じる形」や「信じないという形の主義主張」があるということを、段々にわかっていただけるといいですね。

        結局結論なんてでない問題なんですけどね~。それでもやり方によっては多少暗い気持ちが緩和されるかと。ガンバです!

        クリスチャンの方に対して何か失礼な、嫌な思いをされるような発言があったとしたらごめんなさい。そういう意図はありません。そういう信仰を持っている方も尊重しています。

  10. まる より:

    はじめまして。私は10代の頃にクリスチャンになりました。
    夫は「自分は無宗教、でもお前の信仰は尊重する(反対はしない)」という立場です。
    結婚する時すでに私がクリスチャンで、それについて話ができたので、まるごさんのところとは事情が違うかもしれませんが・・

    一つ思うのは、ご主人は受洗されて3年とのこと。
    私は自分自身のことを振り返ると、物心ついたあと自分の意思でクリスチャンになった場合特に、最初の数年というのはことさらに熱く燃える?気持ちがあって、礼拝に出ること、祈ること、奉仕をする、など、「クリスチャンとして生活する」ことに対して強い思いがあるのではないかなと思います。
    良くも悪くも、年数が経つうちにそのような(言い方に語弊があるかもしれませんが)形の部分・・生活の中で「こうしなければならない」というようなところは柔軟になるのではないかと思います。人に勧める、誘うということについても、もう少し相手のことを考えてタイミングを測れるようになるのではないかな、と。・・・

    私事ですが、夫は私が教会へ行くこと、またクリスマスやイースターには家族揃って行きたいという思いを尊重してくれています。それをありがたいと思う一方、正直言えば、もっと知ろうとしてほしい・できることなら信仰という自分の根本をなすものを共有したいと思います。贅沢な考えかもしれませんが、夫婦として生きて行く中で、共有したい思いが色々あるのです。
    でも、これは強制できることではないですしね・・・無理矢理相手を変えることはできません。

    ご主人は、心から良いものと思うのでまるごさんやご両親を誘ってらっしゃるのだと思います。でももう少し冷静に、一歩引いて見て見たら、まるごさんとご両親にとってそれは理解が難しいのだということをわかってくださったらいいですね。
    その点話し合って、妥協点が見出せたらいいですね。

    たまるごさんも腹立たしいかもしれないですが、ご主人にとって今、信仰はとても大切な犯しがたいものだと思うので、そこのところを否定はしない方がいいだろうと思います。まるごさんの気持ちも、いっぱい伝えてくださいね。

  11. キャット より:

    宗教は大変だと結婚してから実感しています。主人の父が亡くなった時、両親は真言宗、長男は創価学会、長女はクリスチャン、次男は無宗教です。私は次男の嫁です。とにかくお葬式の事を思い出すと大変だったとしか・・・。もちろん親の真言宗で執り行われましたが、長女は一切お焼香をしませんから次男夫婦ではさんでみんなの目から隠しました。結局両親とも亡くなってからは、兄弟仲も悪くなり今は疎遠状態です。信仰は自由ですが、お葬式は本当に大変ですよ。

  12. かわ より:

    同じ教会に属していても個人個人で少しずつ考え方が違ったり、細かな物事に対する判断が違う事は本当によくあります。クリスチャンになりたての数年間はとにかく他の人の言う事や行動に従って学ぶ気持ちが強いことも多く、行動を優先してしまい気持ちの部分が取り残されていることもよくあります。それゆえに人を傷つけてしまったり、不本意な行動をしてしまう事もありました。わたしは今クリスチャン歴5年が過ぎ、教会で色んな人に出会い経験をし、ようやくバランスが取れてきたかなと思います。人の違いを受け入れることや考え方を否定しない事、その人の歴史など見えない事を考慮すること、自分の考えに絶対ということはないということなどです。

    他の人もおっしゃられていますが、まずどうして嫌だと思うのかというところを整理してみることが自分の気持ちと旦那さんの気持ちと向き合う一歩なのではないかと思います。そして、教会に行き出した旦那さんが以前よりいい方向に変わったと思うところを考えてみるのもいいと思います。まず1人で聖書を読んでみたり、旦那さんに好きな聖句の箇所を聞いてみてどうしてそこが好きなのか聞いてみたりなどするのもいいと思います。

    ただどうしても譲れない事があれば先に話しておくのがいいと思います。教会に行きたいと思ったら自分から言うからそれまでは誘わないでほしい、自分の家族や友人も誘わないでほしいなどです。

    わたしも日本人なりに宗教にはある程度の先入観ありましたので、クリスチャンになるかどうかは置いておいて、とりあえず興味本位で聖書について勉強を始めた頃はそれはもうたくさんの質問をしました。でもそれは今考えると質問自体が私にとって重要だったのではなく、教会と教会の人たちのことを知りたかったのだと思います。安全な場所かどうか(笑)聖書自体は小中学校の時に習った道徳のようなとてもいい書物ですよ。

    結局は相談者さん自身があなたのタイミングと方法で見つけて行くものであって、嫌々なまま行動してしまうとその反動でトラウマになってしまうかもしれませんから、ご自分の気持ちともよく相談してください。周りからのプレッシャーに流されて決めてしまっては、後々苦しむのは相談者さんですから。いろいろな書物を読んで理解を深めるのも良いと思います。

  13. かなちゃん より:

    うちの両親がそうでした

    父は、私が小4の頃キリスト教に入りました
    (それまで無宗教)

    子供の頃、時々日曜に教会に子供だけ連れて行かれました。
    そして、姉だけ洗礼を受けましたが
    結局、自然と教会に行かなくなっています
    私と妹は、教会の考え自体が好きになれず、全然行かなくなりました

    母が、教会が嫌いな理由を
    私が大人になってから教えてくれましたが

    当時、母はスーパーで働いていました
    なので、土日休みが交代制
    せっかくの久しぶりの日曜休み・・・
    (当時まだ小学校は土曜の午前中あったんです)
    家族でおでかけしない?と誘うと、父は教会があるからと
    一人で教会へ行っていたそうです。

    それで、なにが家族愛だ!と思ったそうです
    それからは、父の教会は”趣味”と割り切り
    一切関わらないと決めたそうです
    本心としては、なんとしてもやめて欲しいと思ったそうですが
    うまくやめてもらうことができなかったそうです∧□∧;

    なので、父一人キリスト教です

    私たちは、小4~6年の頃に一生懸命父に誘われましたが、
    自分の考えもしっかりできあがっていましたので
    入らないという道を自分達で選びました。
    (信じている方には申し訳ないが、聖書の考えが好きではなかった)

    子供の頃から、父は、日曜は趣味(教会)で朝からおでかけ
    という感じでしたので
    父と遊んだ思い出はほとんどないんですけどね∧□∧;

    まるごんさんのご主人も、丁度みんなを誘いたい時期なのかな~と思いました
    そもそも教会は、家族揃って来る所という感じでしょうし
    自分がいいと思ったものを知ってもらいたいと思うのは
    自然な考えですもんね♪

    でも、せっかく遊びに来たご両親を・・・というのは
    少し冒険しているように感じます

    ここは、素直に”興味がない♪”と
    意思表示されてはどうでしょうか?

    うちの父は、食事前のお祈りなども
    一人で心の中でこっそりしているそうです

    ままごんさんの親御さんという事ですし、
    旦那様は趣味でおでかけ
    ままごんさんと息子さんだけで
    楽しんで来ると割り切ってもいいかなと思いました

  14. るる より:

    >夫はメンタル面が不安定なところがあり、それを補いたいためか、神社巡りにハマってみたり、仏教のお寺の座禅会に行ってみたり、キリスト教の礼拝に行ってみたりすることがありました。
    そして夫は3年ほど前にプロテスタントの教会で洗礼を受けて、クリスチャンとなりました。

    ご主人、何かの機会に、またキリスト教から別の宗教に転向される可能性も否定できないような気がしますが。。。

  15. May より:

    まるごさん、みなさん、こんにちは。

    日本のクリスチャン人口は1%以下と言われているようですが、ここのコメントを見ていると、意外に(というかファッジさんのブログ愛読者の中に、ってことかしら)いるんだなぁと、ちょっと驚いています。そんな私も、プロテスタントのクリスチャンですが、家族みんながクリスチャンというわけではないです。

    まるごさんがおっしゃっているように、もしご主人がメンタル面で弱いところを持ってらっしゃるのであれば、通ってらっしゃる教会があやしくないかどうか、通い続けても大丈夫かどうか(何をもってあやしいというのかが難しいかもですが、高価なものを売りつけたり、寄付や献金を強制したり、教会外の人たちとの接触を極端に制限したりしていたら、危険な香りがします)、確認がてら見に行かれてもいいかな、と思いました。ただそれは、まるごさんのご両親がせっかく遠方から来られるときでなくてもいいと思います。

    ご主人にしてみれば、クリスマスやイースターは、クリスチャンでない人も誘いやすいいい機会と思ってらっしゃるでしょうし(実際教会でも、この機会に友人や家族を誘ってみましょう、というところも多いと思います)、「まるごの両親も来るならぜひみんなで一緒に行こう!」っておっしゃったのだと思います。でも、誘われた方は、行きたくないなぁ…ですよね。

    クリスチャンが「日曜礼拝は最優先したい」という思いは、私はすごく理解できますし、ご主人がそう思ってらっしゃるのもわかります。ただ、同じ思いでない家族に対しての配慮というか愛というか、そういうのも大事なんじゃないかな、と思います。

    イースターの日曜日は、午前中はまるごさんは息子さんとご両親と観光して、ご主人は礼拝が終わってから合流、というのは難しいでしょうか。そのときにお互い、「教会に一緒に来てくれたらよかったのに」「ひとりで教会に行っちゃって、今日くらい休んでくれてもいいのに」という雰囲気が出ないように、合流したら、「さぁ、じゃぁみんなでどこどこへ行きましょう〜!」とか、息子さんに「おじいちゃんとおばあちゃんをどこどこへ連れて行ってあげるの、楽しみにしてたんだよね〜」と言って、息子さん中心の会話っぽくしてもいいかもしれませんよね。

    せっかくご両親がいらっしゃるので、ご主人の印象が(教会にのめりこんでいるという意味で)悪くなってしまわないように(そうなるとまるごさんもこれからしんどいでしょうし)、ご両親に無理強いするのは避けてもらえるようお話されてはいかがでしょうか。

  16. かな より:

    まるごさん、こんにちは。

    パートナーに一番望むものは「理解」という統計があるそうです。
    ご主人とまるごさんだけの関係で、どういう態度がご主人への理解にあたるか
    この機会にとことん考えて関わって行かれてはいかがでしょうか。

    ご両親の時間をどうするかは、ご両親に確認して
    まるごさんからご主人にお断りになれると思います。
    私でしたら最高に夫をたてつつ、望まれないことなのできっちり断ります。
    「誘ってくれてありがとう、親はちょっと今はタイミングが合わないみたい。
     ごめんなさいね。誘ってくれてありがとう。」とでも申します。

  17. 三十六茶 より:

    自分の話になってしまいますが、
    私は結婚と同時に、知らないうちに夫の実家の宗派(仏教です)に入れられていました。
    私の育った実家は同じ仏教ではあるものの違う宗派です。
    別に根本は同じ仏教であり、こだわりの無かった私は木魚を叩くか叩かないかの違いくらいの認識でしたが
    本人の承諾も無しに宗派を変えられたことが、とても不快かつ理不尽に感じ
    「これは法律違反よね」と夫にチクリと嫌味を言いました。

    夫婦でも家族でも宗教は自由です。
    旦那さんが宗教活動をすることも、生活に負担をかけたり、
    家族に迷惑をかけたりする以外は目をつぶるしかないかなと思います。
    しかし、家族であっても同じ宗教に参加することを要求するのはルール違反です。
    無宗教と言っても、皆必ず親がおり、新家と言えどもどこかのお寺や神社に先祖のお墓はありますよね。
    お寺にもお祭りはうんざりするほどあります。法要もあります。
    そのお祭りや法要に誘われたら旦那さんは拒否しますよね?
    逆の立場の場合で仮定話をし、ご両親を教会に誘うのを諦めてもらってはいかがでしょうか。
    自分が出来ないことを人に強いらないようにと。

    個人的な意見ですが、やたらと勧誘をする宗教は信用できません。
    誘っている本人は善意に満ち溢れていたとしても、です。

  18. テンコ より:

    こんばんは!まるごさん!

    私はカトリックのクリスチャンです。
    父方の先祖からなので、自分の意思というよりも、生まれた時からです。
    一般的にお宮参りに行くように、幼児洗礼で両親からクリスチャンネームをつけてもらい、日曜日は家族で教会のミサへ行くという生活でした。

    どなたかも書いておられましたが、子供の頃に日曜日に朝寝ができなかったり、土曜日に土曜学校という子供の集まりもありまして、学校のお友達と遊びたいのに・・・
    と不満に思う事もありましたが、やはり時々はお友達を優先したり、思春期には部活を優先したり・・・と、がんじがらめではない生活を送ってました。
    両親もそこまでの無理強いはしませんでした。

    結論を言うと、やはりご主人ともっときちんと話すべきです。
    ウチも夫婦で別の宗教で、主人はごく一般的な神道で、法事や告別式は神社の宮司さんが来られます。
    でも、普段の生活は特に宗教が絡むことはないので・・・これがごく一般的な日本人ですよね。。。
    私の方がどちらかと言うと、普通とは違ってたわけで、でも主人は自分は洗礼は受けないが、私を否定したりはしませんし、尊重しています。
    そして、クリスマスだけは一緒にミサへ行きますよ!
    これは最初はもちろん誘ったわけですが、無理強いではなく、主人も日本人のクリスマスに対するお祭り騒ぎはいかがなものか?という思いがありまして・・・
    そしたら、毎年行くようになりました。
    もうかれこれ16年になります。
    主人曰く、賛美歌を唄うのが好きだし、一年に一度神聖な気分になるとのことです。

    そして私も、普通に日本人が一般的にするお盆(クリスチャンは基本しないので)に、迎え火や送り火でご先祖様をおもてなしする風習を、改めて良いものだな~と思い、毎年主人の実家でやっています。
    もちろん、主人の方のお葬式や法事には抵抗なく参加しますし、、、
    (ただ、柏手は最初抵抗がありました。逆に主人はいまだに十字架をきるのは何か小っ恥ずかしくて出来ないと言います)
    私が思うに、先祖を思う気持ちや、手を合わせる気持ちは同じで、宗教は関係ないのでは?と思っています。

    何が言いたいのかというと、何故そんなに頑なに教会へ行きたくないのかな~という事です。
    言い方に語弊があるかもしれ知れませんが、ヘンな新興宗教ではないし、イースターくらい軽い気持ちで参加されても良いのでは?

    ただ、ご主人も無理強いは良くないですし、奥様のご両親まで巻き込むのはあまり感心しません。。。
    それをきちんとご主人にも伝えるべきだと思います。
    難しい問題ですけどね、、、
    でも、大事なことはやはりじっくり本音を話し合うべきですよ!
    それも、早めに・・・

    それから、日本人は一般的に、無宗教な感覚で生きてますよね?

    実は戦争というのは宗教の争いが多く、ある意味、だから日本は平和だとも思いますが、時々もっと宗教という物が日常的に寄り添っていたらいいのにな~とも思う時があります。
    自分の事だけ正当化するわけではありませんが、子供の頃からシスターのお話とかで、誰にも見つからないと思っていでも神様は見てらっしゃいますよ!と言われると、まだ幼かった私は単純に神様が見てるから悪い事しちゃダメなんだ、見つかるんだ!と思ってましたし、何かに感謝する気持ちも芽生えたと思います。

    私にとっても宗教は、道徳心を養ったとも思うのですが、、、
    だから、私は日本人は宗教関係なく、例えば仏教の方はもっと普通にお寺に通ってお坊さんの話を聞いたり、神道の方は神社へ足を向けて・・・と、そういう機会がクリスチャンの教会でのミサのようにあればいいのに・・・と思ったりもしてるのです。

    盲目にならなくても、もっと心を育てるというか、そういうのは日本は足りないような気もしてます。

    宗教が全てだとは言いませんし、思ってもいませんが・・・・
    そして、カトリックを辞めたいとは思いませんが、カトリックが一番とか全てとも思っていません。これは、生まれた時から当たり前に教会に行ってましたが、大人になって自分の考えで思ったことです。

    ですから、ご主人にも、信仰は自由で決して悪いと思いませんが、もっと柔軟になって欲しいなと思っています。

    そして、まるごさんも、少しだけ柔軟な考えでご主人に寄り添ってみてはいかがですか?

    ちょっと私がクリスチャンってことで、意見が偏ったかもしれませんね。。。
    すみません。。。
    でも、ご主人がメンタル面で弱く、色々宗教に走ったようなので、今はキリスト教や教会が拠り所なのでしょう。
    もしかしたら、また気持ちが変わるかも知れませんし・・・
    ちょっと見守ってもいいと思いますよ。

    そして、来月のお休みの件は、早めにキッチリと話すべきです。
    ご両親は巻き込まないでと・・・・

    何か支離滅裂な文章になったかも知れませんし、答えになってないかもしれません。
    ただ、真面目に真剣に考えて書き込ませていただきました。

    良い方向へいくように、お祈りします。

  19. 馬鹿の壁って奴です より:

    まるごさん

    宗教を皆が理解できないから、西洋の歴史は宗教戦争ばっかりなんです。
    馬鹿の壁って感じで、突然相手のことがそこからは理解できない。

    幸いだんなさんの入った宗教は お金を巻き上げたり、遺産を全部持っていったり、仏壇を焼いたり、選挙のときだけ友達みたいに勧誘の電話をかけてきたりする怪しい宗教団体ではないようですので、夫婦を続けていく気があるのなら、妥協するか、理解を示せばいいかと思います。できないのなら、これは立派な離婚の理由にできます。神の愛だなんだって、いらない人にとってはありがた迷惑以上の何者でもないです。

  20. ピコ より:

    私の両親は共に一般的な日本人の宗教観でした。
    クリスマスはツリーを飾ってパーティー、大晦日にお寺に行き、元旦には神社に行く様な家庭で、どの神様にも拝んでおけば良いのじゃない?みたいな雰囲気でした。
    しかし、親戚にクリスチャンが多く、イベントなどに誘われることもあったので、それに対しては悪徳商法に勧誘されるのと同じ様な嫌悪感がありました。
    ですからまるごさんのお気持ちお察しします。
    でも、色々あり、ここでは長くなるので書けませんが、結婚後にクリスチャンになりました。
    私個人的には、嫌がっている配偶者や子ども、友人を何度も誘うのは、避けますが、大切な人と自分が大切に思っている時間を共有したいという思いはあります。
    まるごさんのご主人は、まるごさんが一緒に観光に行ってもらえたら良いなと思っているのと同じ様に、一緒にイベントを楽しめたらいいなと思っているのではないでしょうか?
    勿論、一緒に行くべきだとは思いませんし、私なら、大切な家族を心からもてなす時間も大切だと思うので観光に行きますが、信仰は人によっても大きく違うので、それをご主人に望むのは難しいかもしれません。
    自分が不信仰だと思うことはするべきではないからです。

    ちなみに主人はまるごさんと同じ立場になりますが、私の考え方やその後ろにあるものを共有したいという気持ちを持ってくれていて、教会には毎週来てくれています。
    もともと哲学なども好きという事もあり、クリスチャンの人生観などにも興味があるようで、教会の人と論じたり、話したりするのは刺激になって楽しいそうです。
    一般の人と人生について話したり、自分の生き方についてシェアしたりするチャンスはあまりないからだそうです。
    でも、全く信仰を持てそうにはないそうで、牧師のメッセージや聖書の中から良いと思った事だけを良い話として心にとめているそうです。
    私はそんな主人をすてきな人だと思うし、大切に思うので、主人が大切に思うことは(宗教、趣味など)できるだけ尊重したいと思っています。
    配偶者が自分と同じ考えの方がうまくいきやすいと思いますが、違う場合でも大丈夫だと思います。
    ですから、うちはなんとなくうまくやっています。
    でも、楽しみにしている週末を、一人で教会行かれちゃうと寂しいですよね。
    ご主人がもっとご家族の心に寄り添える様になると良いですね。

  21. まるご(相談者) より:

    相談者のまるごです。

    ご自身がクリスチャンである方、親御さんがクリスチャンであった方など、さまざまな立場の方から親身にアドバイスをいただき、本当に感激しています。

    クリスチャンの方が教会での礼拝をどれほど大切なことと思っているか、わかりました。家族と喜びをわかちあいたいという意味で、夫が私たちを誘っていることも。

    ただ、それが私にとっては負担です。夫には幾度となく伝えていますが、夫はあきらめていないです。
    今回はそのことに私の両親も巻き込まれてしまいそうで(表現が悪くてすみません)、余計に反発してしまったんだと思います。

    なぜ私が教会に行くことを断るのか?という理由ですが、
    ・献金額について夫婦間で揉めている
     夫はもっと増やしたいと言いますが、私がパートに出ていても生活が苦しいので、無理です。
     身の丈に合わない献金は本末転倒であると言っても、教会に行くことを反対されていると思い込み、話し合いになりません。
     ちなみに夫の教会は新興宗教的なものではないです。
    ・私は入信するつもりがまったくないこと
     特定の信仰はありませんが、自分なりに神様はいると思っています。私は聖書を読み、教会で礼拝をする必要を感じていません。
     入信するつもりもないのに、教会の方々に親切にしていただいて、イベントの時だけ(楽しい時だけ)行くのは心苦しいです。
    ・教会での人づきあいが苦痛です
     礼拝が終われば、愛餐会があります。行事があれば準備や後片付け。夫が信者である教会で、私だけお客さん気分で何もせずぼーっとしているのは
    気が引けますが、アウェー感がハンパないです。
    ・夫がのめりこみすぎている
     どなたかもおっしゃっていましたが、夫はクリスチャンとして生活することへの思いが強い時期なのかもしれません。
     夫は日曜の午前以外も、日曜と水曜の夜、奉仕活動などで週の大半は教会にいます。
     家に居る時は聖書を読むか、ネットサーフィンか、寝ています。家族と過ごすことを放棄しているみたいに見えます。

    皆様からのアドバイスを見て、私たち夫婦はもっと信仰について話し合わなければならないと痛感しました。
    家族と過ごす時間を大切にしてほしいですし、夫の信仰を受け入れると同時に、私が教会へ行かない気持ちも認めてほしいと思います。

    本当にありがとうございました。
     

    • カイル より:

      すみません、締められてからのコメントになりますが…

      私は仏教徒でとある信仰を持つ者です。
      そこで教えられてることを綴ってみます。

      「病気やケガはまず病院に行ってみてもらうこと」
      「それぞれのやるべき本分をきちんとすること
      (子供は勉強をし、大人は労働、そして夫や妻や父や母であることを忘れない)それをまずしないで、教えや奉仕活動ばかりしないこと」
      「本来の修行場所は、家庭や社会にある」

      私たちは信仰を持つものでもあるが、一般社会に身をおいているのだからそこでまず自分のベストを尽くし、他に言われたことを糧とし、感謝し身につける。
      病気になったのなら、こちらになんとかしてくれではなく
      必要な医療を受けてから。

      つまり 信仰をもたない大多数の人から見られても
      「信仰ばかりで人格も向上していなければ、家のことはほったらかし。どこの宗教の人もみんな一緒」なんて思いをさせてはいけませんよ。と。
      信仰を持つからこそ、周りに尽くすのです。

      教会や寺院仏閣に送り出してくれる家族に感謝し、合掌する思いを常に持ちましょう。そしてそこにいた時間分、感謝を持って家族や他に尽くしましょう。
      違う教えを持つ方でも、その方の思いを大切にして否定せずにいましょう。

      簡単にまとめるとこんな感じです。
      つまり自らの本分を努めずして、他に喜びを与えることも幸せを与えることもできないし、それは宗教家のすることではないとの教えです。
      私はそういう教義だからこそ、そこの教えを信じております。
      そういう教え(宗教)も実在します。

      ご主人の今のお姿は…どうなんでしょうね。
      宗教があって、より不幸になるなんて矛盾極まりありません。
      より良き道を見いだせたらいいですね。
      失礼いたしました。

      • カイル より:

        すみません 献金についてですが。

        金額でもなければ、強要でもない。
        渋々出す金額や、生活に必要以上にかかわるようなことがあっては
        仏様が悲しまれるのでそれならいっそしないほうがましである。

        心から「仏様に使っていただきたい」の思いが一番大切なので家族に不愉快な思いをさせることがあってはなりません。だそうです。

        宗教であれなんであれ、自分の家庭が危ういほどすることは
        寄付とは言えないと私は思います。
        気は心とも言います。
        大切なことですから、そこは話し合いが大切ですね。
        私はいま仕事しておりませんので、何もしていません。
        主人からいただく生活費を大切にすることも、感謝を深めることで、それがひいては仏様に通じると思っています。
        形ばかり整えても中身が伴わないのはいかがなものでしょうね。

  22. ピンバック: 夫の聖書を破ったら、歯が曲がるほどの暴力を… | 井戸端会議/お嫁さんな日々

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