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メイの誕生

ひな祭り記念〜メイの誕生

  
  
  

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私は社内結婚だったが

社内のみなさんの理解もあり、仕事はそのまま続け

腹がデスクにつかえる7ヶ月まで働いた。

出産後は「いつでも戻っておいで。」と言われた。

本当に素敵な会社と同僚に恵まれたと今でも思う。

 

 

それまではダンナと2人で働き、2人で生活してきた。

しかし、これからは働き手が1人で3人での生活になる。

経済的には、未知な世界に突入するわけで不安もあったが

それよりも新しい命の喜びに勝るものはなかった。

 

 

 


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体調はすこぶる良好で

退職後の私は好きな時間に本を読み、テレビを観て

お茶を飲み、散歩をし、食事をし、昼寝した。

太り過ぎることもなく、心身共に模範的な妊婦だったと思う。

 

 

 

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ダンナが休みの時を指折り待っては

ラブラブで出かけた。

新婚当初とは比べものにならないほど

愛され、大切にされ、幸せで満ちあふれていた。

 

 

 

しかも、それはダンナの家に遊びに行った時も然りだった。

(双子が生まれるまでは別居だった)

 

 

 

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もう、国賓扱いのVIP待遇だった。

 

まさに世の中が自分中心に回っていた。

 

 

 

 

…そう、あの日を迎えるまでは…

 

 

 

順調に月日を重ね、ついに予定日を3日過ぎて陣痛が始まった。

 

 

 

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初産ということもあり、生まれて初めてのこの試練。

後から後からやってくる妊婦さんに抜かされて

分娩室からは幸せの産声を何度聞いただろう。

もう我慢も限界の36時間後に

3800gのビッグベビー、メイを出産した。

 

 

 

そして、私の人生は一変した。

 

 

 

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私が無償の愛に目覚めるのは、まだまだ先のことである。

ここから私の育児ノイローゼな日々が始まった。

 

 

 

そう、世界はメイ中心に回り始めたのだ!

 

 

 

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ひな祭り記念〜メイの誕生2

  
  
   

今日の記事はひな祭り記念〜メイの誕生の続きです。

  
  
  
  

私は産後も順調に回復し、

退院後、最初の1ヶ月は実家で過ごした。

もちろん甘え上手な次女気質は実家で炸裂し

姉(2人出産完了)にほとんどメイの面倒をみてもらい

 

 

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私の面倒はほとんど母にみてもらっていた。

そんなこととはつゆも知らず

母親業もすっかり板についたと勘違いしたダンナが

1ヶ月後に迎えに来てくれた。

 

 

 

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もちろん、それからはメイに振り回される毎日が始まった。

子育て雑誌を片っ端から読みあさり

その通りにいかない子育てに私のイライラが募った。

 

 

 

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ダンナが出勤する時間と帰宅時間は

なぜか寝ているメイだったが

ダンナのいない日中はは泣きずめ泣いた。

ミルクを飲んでもおむつを変えても泣いた。

 

 

 

メイの泣き声を聞くたびに

「母親失格だ」と言われているようで過剰に反応し始めた。

もちろん、ストレスの行き先はダンナに向かった。

ダンナに「一緒にがんばろうね」と言われるたびに腹がたった。

 

 

 

1日中いないあなたに何がわかるの!?

 

 

 

しかし、それではだめだと自分でもわかっていた。

私なりに努力もした。

 

 

 

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会社の話は特にタブーだった。

仲のよかった同僚の話や外でのおもしろかった話を聞くと

社会から取り残された疎外感で押しつぶされそうになった。

 

 

 

 

自分でもわかっている。

わかっているんだが、うまくダンナに伝わらない。

これが育児ノイローゼだと自覚するのはもっとずっと後だ。

ダンナもメイもどうして私を苦しめるの?と真剣に思っていた。

 

 

 

その後、私なりに育児ノイローゼからの脱出を謀ります。

続くね、やっぱり。

 

 

 

ノイローゼ中、ダンナから言われて一番傷ついた言葉は
「お母さんはみんなやっているんだよ。ファッジにもできるよ」
だった。
今思えば、ダンナなりに励ましていたんだろうが
言われるたびに泣けてきました。

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